「平和憲法壊させぬ」 根室空襲から79年、犠牲者追悼の集い

AI要約

1945年7月、根室市で起きた米軍機による根室空襲で約400人が犠牲となり、79年後の追悼式が行われた。空襲の犠牲者の冥福を祈り、平和の大切さを考える集いには遺族や関係者ら30人が参加。犠牲者を偲び、平和への願いを新たにした。

根室空襲研究会の近藤敬幸事務局長は、現在の世界情勢と空襲を重ね合わせ、殺傷能力の強い武器の恐ろしさに疑問を呈した。平和憲法を尊重し、なぜ戦争への道を選ぶのかを問いかけた。

世話人の神忠志さんは、沖縄戦後の最高戦争指導者会議での判断を振り返り、早い段階での降伏決定の重要性を語った。日本の将来について考え、国の進むべき道を改めて検討する必要性を訴えた。

「平和憲法壊させぬ」 根室空襲から79年、犠牲者追悼の集い

 太平洋戦争末期の1945年7月、米軍機による爆撃で約400人の命が奪われた「根室空襲」から79年となる15日、犠牲者の冥福を祈り、平和の大切さを考える「根室空襲犠牲者追悼の集い」が根室市で行われた。

 集いは、最も多くの犠牲者を出した市街地中心部の鳴海公園であり、遺族や関係者ら約30人が参列。根室空襲研究会の近藤敬幸事務局長(94)は79年前に市内を焼け野原にした空襲を昨今の世界情勢と重ね合わせ、「殺傷能力の強い火器の開発が『抑止力』と読み替えられ、配備することを当然のこととする恐ろしさ。平和憲法を手にし、平和と民主主義をたん能するいま、なぜそれを壊そうとするのか」と疑問を呈した。

 世話人の神忠志さん(81)は沖縄戦が終わった1945年6月の最高戦争指導者会議についてふれ、「もしも、このとき(降伏の決断という)正しい判断が下されていたら、もっと早く戦争は終わっていたのではないか。6月からの2カ月でどれほど多くの犠牲を出したか」と語り、「日本という国がいま、どこへ向かっていこうとしているのか改めて一人一人が考える機会にしたい」と述べた。【本間浩昭】