熊本豪雨から4年 復興の歩みも記録した球磨村の「瓦版」100号に クスッと笑える集落の小さな話題を発信

AI要約

熊本豪雨から4年を迎えた球磨村小川地区では犠牲者を悼む宮原修さんが手作りの瓦版を通じて地域の情報を伝え続けている。

球磨清流学園の体育大会や豪雨特集など、地域の明るいニュースや復興の取り組みが瓦版で紹介されている。

宮原さんは豪雨被害を受けながらも瓦版を廃刊せず、地元の記録や人のつながりを大切に続けている。

熊本豪雨から4年 復興の歩みも記録した球磨村の「瓦版」100号に クスッと笑える集落の小さな話題を発信

 2020年7月の熊本豪雨から4年を迎えた4日、熊本県球磨村小川地区で犠牲者を悼み手を合わせる宮原修さん(71)の姿があった。約8年前から地元の身近な話題を紹介し、復興の歩みも記録してきた手作りの「球磨村おがわ瓦版」は6月号で創刊100号となった。「これからも笑顔と元気を届け続けたい」と話す。

 小さな子や中学生、保護者、お年寄りが輪になって楽しそうに踊っている。6月号の“トップ”を飾ったのは、今春開校した「球磨清流学園」が初めて開催した体育大会の写真。村内の3小中学校を統合再編してできた9年制の義務教育学校だ。豪雨後、少子高齢化がさらに進む中での明るいニュースだった。

 宮原さんは地元紙の販売店を62歳で退職。「新聞に載らないようなクスッと笑える小川集落の小さな話題を発信しよう」と16年11月に瓦版を創刊した。カメラ片手に取材し、執筆や編集も1人で手がける。経費は全て自費で、A4判両面カラー2ページを月1回、無料配布してきた。集落外でも評判となり、今では村全域を取材エリアとする。

 豪雨のあの日、村内では球磨川が氾濫し、25人もが犠牲となった。宮原さんも自宅裏山が崩れ、避難所を転々とした後、錦町で約9カ月間の借家暮らしを強いられた。一時は廃刊も考えたが「村の記録を残していこう」と決意。7月号だけ休刊し、翌月再開した。

 毎月10日ごろに約90部を印刷し車で人吉球磨地方の仮設住宅や、村役場、学校、郵便局などに届ける。通信アプリLINE(ライン)版の読者も約50人いるという。「届けた時の読者の笑顔を励みにやってきた。古里の話題や知人の近況の記事は今も村外に避難している人にも喜ばれる」

 101号となる7月号は、あの日を忘れないよう豪雨特集を組む。地域の追悼行事や、再開した店舗を紹介する予定だ。宮原さんは「復興の歩みと住民の思いを記録したい。体力が続く限り、発行を続けていきたい」と意気込んでいる。(古川剛光)