輪島塗 再建誓う9代目「全部なくなったけど、人は残った」 絶望の中の奇跡…火を免れた“見本椀”

AI要約

能登半島地震から半年が経った輪島市で大規模火災があり、奇跡的に250年続く輪島塗の器が残った。店舗の2~4階は火災に見舞われず、輪島塗の強さを再認識した9代目の話。

輪島塗の歴史や特徴、料亭で高く評価されていた経緯。店舗は全焼したが、外観が残るだけで、他の建物はほぼ全焼していた。

地震発生時に父親から火災の連絡を受け、最低限の物を持ち避難。様子を眺めながら店が燃えるのを目の当たりにし、漆器は全滅だろうと考えていた。

輪島塗 再建誓う9代目「全部なくなったけど、人は残った」 絶望の中の奇跡…火を免れた“見本椀”

能登半島地震の発生から間もなく半年。大規模火災に見舞われた石川・輪島市で、江戸時代から250年続く漆器店には、奇跡的に残った輪島塗の器があった。防火扉を閉めていた店舗の2~4階には火が回らなかったのだという。“やはり輪島塗は強い”と再建を誓う9代目に話を聞いた。

輪島塗の製造販売を行う小西庄五郎漆器店。輪島朝市通りで江戸時代から続く名店では、観光客へ販売するだけでなく、長年京都や大阪の料亭に煮物椀などを納めてきた。製作に1年以上かかることもあるという輪島塗は、普通の漆器よりも丈夫で、同じ器は存在しない。

そのため、料亭からの評価は高く、広く愛されてきた。店舗ビルの裏には自宅、工房、土蔵、駐車場の敷地が広がるが、ほぼ全焼。店舗ビルの外観だけがかろうじて原形をとどめている。

地震発生時、9代目の小西弘剛さん(43)は、妻と二人の子どもと近くのアパートにいた。すぐに避難し、車中泊をしようとしていた夜10時頃、店舗兼自宅にいる父親から「うちの5~6軒先まで燃えている。もうだめだ」と連絡を受けたという。

小西さんが駆けつけた時には、すでに通り一面は火の海だった。父親と店舗に入り、通帳や書類など最低限の物を手に取って外に出ると、まもなく小西さんの店舗にも火が燃え移ってきた。“店が燃えるのを見届けたい”という父親のそばで、小西さんもその様子をぼう然と眺めていた。

目の前の光景が信じられず、その時の感情は覚えていないという。意味もわからずスマホで燃える朝市の様子を記録し、火が迫ってきたところで父親と共に避難した。避難しながら「店舗の中に残された漆器は全滅だろう」と、諦めていたという。

店舗と反対側にある駐車場には営業車が停まっていた。この車に完成した漆器を積み込み、京都や大阪の料亭に納品に向かうのが日常だった。

まだ店に火が回る前、車だけでも移動させようと試みたが、周りの建物が崩壊し、すでに車の上には瓦などが覆いかぶさっていたという。車に近づくことは断念せざるをえなかった。取材時(4月中旬)には、現場で見つかったものなのか、陶器のほか、花束が置かれていた。