沖縄戦の犠牲拡大させた「南部撤退」研究重ねる米国の若者…生き残った男性「知る限りのこと伝えたい」

AI要約

沖縄戦で起きた悲劇を広く伝えようとする若者の取り組み。

沖縄戦の遺物である第32軍司令部壕を世界文化遺産に登録するアイデアが注目を集める。

米国人学生が瀬名波栄喜さんとの対話を通じ、戦争の悲劇を未来に伝える重要性を理解する。

 武装していない一般住民が巻き込まれる戦争を二度と繰り返してはならない――。79年前の沖縄戦で起きたことを広く伝えたいと、国や世代を超えて動き出した若者たちがいる。

 「『南部撤退』が決定された第32軍司令部壕を、広島の原爆ドームのように世界文化遺産に登録するという考えをどう思いますか」

 13日、米国人のリア・ワシルさん(33)が、那覇市内で待ち合わせた沖縄戦体験者に自身の考えに対する意見を求めた。ワシルさんは考古学などを専門とするハワイ大の院生。昨年5月から沖縄に留学し、琉球大で司令部壕を研究している。

 真剣なまなざしを受け止めたのは、市民団体「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」会長の瀬名波栄喜さん(95)だ。優しい表情で「いいアイデアですね」とうなずいた。

 ワシルさんは2年ほど前、日本史を調べる中で沖縄戦に関心を持った。原爆は米国の学校で教わったが、沖縄戦を学ぶ機会はなかった。「悲劇を知り、驚き、悲しくなった」。両親に話すと、米兵だった祖父が沖縄戦に従軍していたと聞かされた。ただ、祖父は詳しい体験を語らず、他界していた。

 ハワイ大で親しくなった男子留学生が瀬名波さんの孫だった。瀬名波さんにつないでもらい、司令部壕について繰り返し尋ねた。この壕で決定された「南部撤退」は、住民の犠牲を拡大させた。ワシルさんは「悲劇を広げないためにも、撤退せずに首里で降伏すべきだった」と話す。

 瀬名波さんが壕を後世に残す必要性を訴えるのも、現代の教訓とすべき決定がなされた場所だからだ。

 自身は本島中部の沖縄県立農林学校で飛行場などの建設に動員された。米軍の上陸直前に学徒隊「鉄血勤皇隊」への入隊が決まったが、入隊前、自宅に戻っていた時に空襲が激化し、山中を逃げ惑った。多くの同級生が戦闘で犠牲となり、戦後は「自分だけ生き残って申し訳ない」と罪悪感にさいなまれ続けた。

 それから79年が過ぎ、かつての「敵国」出身の若者が、その悲劇を世界に伝えようと学びを深めている。「自分が知る限りのことを伝えたい」。そう考えている。