人は必ずしも合理的に意思決定するとは限らない

AI要約

本章では、経営学者が盛んに応用する「社会学ベースの制度理論」について紹介している。

社会学ベースの制度理論では、人は合理的に行動しない場合もあることを前提としている。

経済合理性だけでは説明がつかない現象を例に挙げ、制度理論の重要性を説明している。

人は必ずしも合理的に意思決定するとは限らない

■「常識という幻想」に従うか、活用するか、それとも塗り替えるか

 前章までは、社会学ディシプリンの中でもソーシャルネットワークに関する諸理論について解説した。本章はこれらと並んで、いま世界の経営学者が盛んに応用する「社会学ベースの制度理論」(institutional theory)を紹介する。現在の先端の経営学で、最も学者が実証研究に用いている理論の一つといえるだろう。 

 同理論は1970年代後半から1980年代前半にかけて、スタンフォード大学のジェームズ・マイヤー、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のリン・ザッカー、エール大学のポール・ディマジオ、ウォルター・パウエルなどのスター社会学者によって確立された。そして現在、『アカデミー・オブ・マネジメント・ジャーナル』(AMJ)、『アドミニストレイティブ・サイエンス・クォータリー』(ASQ)などのトップ学術誌には、同理論を現代のビジネス事象に応用した論文が、続々と登場している。現代ビジネスの課題を解き明かすために、制度理論は欠かせないのだ。 

 ところで、本章であえて「社会学ベースの制度理論」としたのには理由がある。「制度理論」には、社会学ベースと経済学ベースがある。経済学ベースの制度理論とは、ゲーム理論を基礎として、「一人ひとりのプレーヤーが独立して、互いの意思を読み合いながら、まるで数式を解くかのように合理的に意思決定する」という前提に立つ。この前提をもとに、組織制度・社会制度・ビジネス慣習などのメカニズムを説明しようとするのだ※1。

 一方で、社会学ベースの制度理論は「人は必ずしも合理的に意思決定するとは限らない」という前提に立つ。本書『世界標準の経営理論』第24章で解説したように、人と人は社会的なつながりに埋め込まれており、そこでは時に心理的な親しさ・認知的な近さが生まれ、ヒューリスティックに意思決定すると考えるのだ。現代の経営学の主流は後者の社会学ベースの制度理論なので、本章ではこちらを紹介する。

■人は「合理性」よりも、「正当性」で行動する

 制度理論によると、社会に埋め込まれた人・組織・企業はその認知的・心理的制約から、経済合理性だけでは十分に説明がつかない行動を取りうる。端的な例は、日本でいま大きな流れとなっているダイバーシティ経営だ。日本のビジネス界は戦後長い間、男性中心の社会であり続けた。それが近年、急速に女性登用を進めようとしている。実は、2016年春から夏にかけて筆者は多くの大手企業のダイバーシティ担当者の訪問を受けた。同年4月に女性活躍推進法案が施行されたことを受けてだ。

 そこで筆者がいつも最初にした質問は、「そもそも御社は、何のためにダイバーシティを進めたいのですか」というものだ。そして、この問いに対する担当者の答えは、軒並み「実は、当社もよくわかっていないのです」というものだったのだ。さらに突っ込んで伺うと、多くの企業が「政府が進めているから」「他社が始めたから」「社会的な風潮だから」といった理由を挙げた。第13章で述べたように、ダイバーシティは「知と知の新しい組み合わせ」を引き起こし、イノベーションの源泉となりうる。しかし実際には、その企業なりの合理性でダイバーシティを説明された方は、ほとんどいらっしゃらなかったのである。

 このように、人・企業は「他社がやっているから」「社会的風潮だから」といったなんとなくの理由で行動することが実に多いのだ。「いまはダイバーシティの時代であり、どの会社も始めているのだから、自社もそうすることが『正当』なはずだ」という心理メカニズムが働くのである。