「親父、こんなに苦しかったのか」就職先の銀行で知った家業の低い評価 大人気の京都洋菓子ブランド「マールブランシュ」を継いだ3代目の決意

AI要約

京都土産として人気のある「お濃茶ラングドシャ 茶の菓」の製造元である京都北山マールブランシュ。3代目の河内優太朗氏が家業を継承する経緯を語る。

河内氏は家業に対してコンプレックスを持ち、銀行で働く中で家族経営の苦労を知り、家業への意識が変わる。

父の意向で製造部に配属された河内氏は、食のメーカーとしての理念や愛社精神を学び、お菓子作りに圧倒される。

「親父、こんなに苦しかったのか」就職先の銀行で知った家業の低い評価 大人気の京都洋菓子ブランド「マールブランシュ」を継いだ3代目の決意

京都土産として絶大な人気を誇る「お濃茶ラングドシャ 茶の菓」は、株式会社ロマンライフの洋菓子ブランド「京都北山 マールブランシュ」の看板商品だ。1951年に祖父が開いた純喫茶「ロマン」は、2代目の父によって高級洋菓子店へと発展を遂げ、2023年、3代目・河内優太朗氏(40)に受け継がれた。「ケーキ屋の息子」がコンプレックスだった河内氏の意識を180度変えたのは、大学卒業後に入った銀行で知った衝撃の事実だった。河内氏に、会社を承継した思いを聞いた。

――幼い頃から「いずれは三代目」と意識されていたのでしょうか?

いえ、まったく。父からも「継いでくれ」とは人生で一度も言われたことはありません。

家業はコンプレックスだったんです。友人が自分で道を選んでいく中、私にだけ敷かれたレールがある。「楽でいいよな」と言われるのが嫌で、就活では家業と取引先のない会社ばかり受けました。

――なぜ、ロマンライフを継ぐことになったのでしょう。

2007年に同志社大を卒業し、銀行に就職して法人営業を担当しました。大企業から、家族経営のお菓子屋さんまで様々な経営者の方と話すと、皆さん大変な苦労をしているのが分かりました。

両親もそうだったのではとハッとしました。

就職先に家業を明かしていなかったこともあり、勤めていた支店に新規取引先候補としてうちの会社が上がって来たんです。でも、銀行からの評価が非常に低くて……。

きつい素振りを一切見せず、私も弟も小学校から大学まで私立に通わせて大切に育ててくれた両親を思うと、自分は何も返せていない、なんて親不孝者なんだと。そこで家業へ入ろうと決意しました。

――入社すると決めた時、お父様の反応はどうでしたか?

2009年頃に打ち明けたのですが、「もう一社経験してほしい」とだけ言われました。それで1年間、上場会社の総務法務部でマネジメント管理等について学びました。ロマンライフに入社したのは2010年です。

――まず配属されたのは製造部だったそうですね。

それも父の意向です。銀行員時代はずっと営業畑でしたので「ロマンライフは食のメーカー。製造の現場には必ず入ってほしい」と言われました。実は私、お米も炊けなかったんです。“食を作る”というのは本当に未知の分野で、正直に言えば苦手意識もありました。

――製造の現場で見えてきたものはありましたか?

2年間で全ての現場を回りました。パティシエや「パートナー」さんというパート・アルバイトで働いてくださっている方々の愛社精神を肌で感じたのと、緻密なお菓子作り、研ぎ澄まされたクオリティを目の当たりにして「これは私には絶対できない」と圧倒されました。