ヤナギヤの強さの秘訣 震災でもコロナでも全世界に「修理」に行く…顧客の″困った”を放り出さない地道な経営戦略が最後に笑う

AI要約

ヤナギヤはカニカマ製造機の開発で信頼を得ており、顧客の悩みを解決することに重点を置いている。

金平糖経営を実践し、事業領域を拡大して顧客の信頼を集めている。

柳屋社長は東日本大震災で被災した取引先に対し、献身的なサポートを行い、良好な関係を築いている。

ヤナギヤの強さの秘訣 震災でもコロナでも全世界に「修理」に行く…顧客の″困った”を放り出さない地道な経営戦略が最後に笑う

ヤナギヤ(山口県宇部市)はカニカマ製造機の開発などで培った技術力を生かし、顧客のさまざまな“悩み”を解決することで信頼を得てきました。加えて、大切にしているのがメンテナンスです。「売っておしまい」にしないことが、顧客の信頼を集めるもうひとつの大きな要素になってきました。

それが突起を増やすように事業領域を増やす「金平糖(こんぺいとう)経営」の実践につながっています。そうした経営にこだわる理由を紐解くと、柳屋芳雄社長の長年の理念にいきつきました。

【柳屋芳雄(やなぎや・よしお)】

1950年山口県生まれ、日本大学経済学部卒業後、兵庫県のかまぼこメーカーに就職。

1975年に24歳の若さでヤナギヤの3代目社長に就任。1979年にカニカマ製造機を開発。

水産練り製品だけでなく、あらゆる食品や日用品、医薬品向けに装置の販路を広げる。

2011年に発生した東日本大震災。大きな被害を受けた東北地方沿岸部には、練り製品など水産加工品メーカーの工場が多くあります。

ヤナギヤはこの地域に、すり身加工機や揚げ物製造機、蒸し機、形成機などさまざまな食品の製造装置を販売・リースしていました。しかし、約120社の取引先が被災し、操業を続けることが難しくなりました。

「とにかく早く仕事を始めたい」――現地で被災した取引先のそんな思いに応えるため、柳屋社長は装置を山口の本社まで運んで修理することを決意します。ダメになった電気部品を交換し、装置に残った海水や塩を洗い流しました。一時は本社工場に何十台もの被災した装置が並んでいたといいます。修理は急ぎで2~3カ月で終わらせるものから、相手方の復旧の度合いによって半年後、1年後になるものまで、直しては納品するという作業が続きました。

当時、修理をした取引先とは、いまも良好な関係が続いています。大震災から10年、ヤナギヤの2021年の社内報に寄せられたメッセージには、感謝の思いが込められていました。

〈震災直後の工場周辺にがれきと化したものが散乱しているとき、工場の中から機械を引っ張りだして外で修理を行ってもらいました。その後、コロナ禍であっても、かまぼこが作れて地域の人たちに買ってもらい、喜んで頂けています〉