「物価は上がったが、日本人の生活は貧しくなった」 実は根拠薄弱だった、物価目標2%の理論的な根拠。黒田日銀が犯した致命的なミスとは

AI要約

元モルガン銀行・日本代表である藤巻健史氏が称賛する元日銀理事の山本謙三氏について述べられている。山本氏は、異次元緩和政策のリスクを警告し、物価目標2%達成のための異例の政策について疑問を投げかける。

著書からの抜粋を通じて、経済実験と呼ばれる異次元緩和のリスクや問題点について考察されている。これにより、今後の経済への影響や支払うべきツケについての示唆がされている。

マクナマラの誤った理論と行動についても触れられており、経済政策や戦争への合理性や人間性の欠如が、大きな影響を与える可能性を示している。

「物価は上がったが、日本人の生活は貧しくなった」 実は根拠薄弱だった、物価目標2%の理論的な根拠。黒田日銀が犯した致命的なミスとは

「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」

元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、11年にわたって行われた「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。史上空前の経済実験と呼ばれる「異次元緩和」は、物価目標2%達成への異例のこだわりから始まった。なぜ物価は上がり続けなければいけないのか? 黒田日銀はなぜ深みにハマっていったのか? そして異例の経済政策のツケを、私たちはどのような形で払うことになるのか?

※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。

数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」という。

マクナマラとは、ケネディ政権下で国防長官を務めたロバート・S・マクナマラに由来する。若き頃から神童と呼ばれたマクナマラは、カリフォルニア大学、ハーヴァード大学に学び、ビッグ3の一翼を担う巨大自動車メーカー、フォードに入社。ほどなく重役になり、44歳にして社長に上り詰めた。

そして、マクナマラは、ケネディ政権成立とともに国防長官に抜擢された。経営者時代に培った近代経営学的手法を駆使して、陸海空三軍に予算配分方式を導入、国防計画に〈費用―効果分析〉の手法を導入した。ベトナム戦争が「マクナマラの戦争」と呼ばれたように、ケネディ政権下の軍事介入開始からジョンソン政権における介入の本格化までの政策を主導した。

マクナマラは、得意のデータ分析を駆使して、「北爆」と呼ばれる大規模爆撃を敢行。多数の兵力を投入し、ベトナム戦争に勝利しようとしたが、ベトナム人の激しい抵抗を受けて、戦争は長期化し、推定で、アメリカ陣営が戦死者20万~25万人、北ベトナム・解放戦線側が戦死者約110万人、民間人の死傷者が約200万人という泥沼の戦争を招いた。

2023年にNHKが放送したテレビ番組「映像の世紀 バタフライエフェクト:ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」によると、マクナマラは、米国が支援する南ベトナム軍とこれに対抗する南ベトナム解放戦線(ベトコン)の戦闘について、ベトコン側の兵士の死者数を数えれば、相手勢力の能力低下の度合いを測定できると考えた。そこで戦争遂行の目標に敵兵士の死者数を掲げて、ついには、米国の各軍隊に敵兵士の死者数を数えるための将校を配置したという。

米国ハーヴァード大学のビジネススクールで一時教鞭をとったエリートらしい合理的な理論と実践だったが、ベトナムでは愛国心をもつ多くの人民がベトコン側につき、ゲリラ活動でアメリカ・南ベトナム連合軍に抵抗した。米国内では厭戦気分が広がり、各地で反戦運動が高まった。マクナマラにとって、ベトナム人民やアメリカ国民の心の動きは計算外だった。

結局、アメリカ軍は1973年、ベトナムから撤退を開始。1975年に南ベトナム解放戦線の手によってサイゴン(現ホーチミン市)は陥落し、ベトナム戦争が終結した。