経済財政白書「老後資金ため込みすぎ」違和感の正体

AI要約

内閣府が2024年8月に公表した経済財政白書によると、高齢者の老後資金は85歳を過ぎても15%程度しか取り崩されておらず、これが日本経済に有効に活用されていないという指摘がある。

高齢者の資産が投資や消費に回らず蓄え込まれている現状には問題があり、個人の老後設計において資産の寿命延長が重要であるとされている。一方で、高齢者間の金融資産格差が大きく、金融資産が少ない高齢者も増えており、平均値での議論だけでは十分な情報が得られない。

政策提案として、高齢者資産の有効活用や若年期からの収益性の高い資産形成を促すことが挙げられているが、高齢になると投資リスクを減らす傾向があるため、現実的な施策の検討が求められる。

経済財政白書「老後資金ため込みすぎ」違和感の正体

 内閣府が2024年8月に公表した経済財政白書は、高齢者が蓄えた老後資金は85歳を過ぎても平均15%程度しか取り崩されていないという現状をリポートした。高齢者が抱え込んだお金が投資や消費に回らず、日本経済に有効に使われていないという指摘だ。だが、長寿社会を迎え、個人の老後設計では「資産の寿命を延ばす」ことが重要であることは常識化している。このギャップは何か。【毎日新聞経済プレミア・渡辺精一】

 ◇老後資金の「取り崩し」を分析

 経済財政白書の正式名称は「年次経済財政報告」。政策に役立てることを目的に、内閣府が日本経済の分析を行い、年1回公表している。

 24年版は、日本経済が、賃上げと投資がけん引する成長型に移る正念場にあるとして、二つの課題を挙げた。一つは成長の制約となる人手不足の克服。そしてもう一つが資産の有効活用だ。

 白書によると、日本には、現預金・株式など金融資産と住宅・設備など実物資産をあわせたストックが22年末で1京2650兆円ある。家計部門の純金融資産(資産から負債を引いたもの)は24年末で1800兆円。半分以上は現預金で、保有は高齢者に偏る。

 内閣府が、総務省の「19年全国家計構造調査」を元に分析したところ、世帯の金融資産は年齢が高くなるほど増え、リタイア期の60~64歳で平均約1800万円強とピークとなる。だが、65歳以降の取り崩しペースは緩やかで、85歳以上でも平均約1500万円強と300万円弱しか減っていない。

 このため白書は、高齢者は公的年金や働いて得た所得で大半の消費をまかなっており、老後資金の取り崩しは非常に限定的とする。

 背景は複合的だが老後不安が大きいという。金融広報中央委員会の23年の調査では、60歳以上が金融資産を保有する目的は「老後の生活資金」が77%と最大となった。高齢者の3分の1は「自分で財産を使い切りたい」と考えており、長寿化が進み、長生きリスクが強く意識されているとした。

 こうしたことから白書は、高齢者の資産が有効活用されず、資源配分に非効率性があると問題提起する。日本経済の活性化には、高齢者が無駄にお金をため込まず、消費や投資に回すことが必要というわけだ。

 ◇「老後2000万円問題」とのギャップ

 だが、これに疑問を持つ人は少なくないだろう。老後資金の問題とは「ため込みすぎ」ではなく「足りない」はずだったからだ。

 金融庁の金融審議会が19年に公表した報告書が「老後2000万円問題」として大反響を招いたのは記憶に新しい。高齢夫婦が貯蓄を月平均約5万円取り崩している現状を挙げ「人生100年時代は約2000万円不足する」という計算を示し、その部分が切り取られて批判を浴びた。

 だが、長寿社会を迎え、長い老後に備える資産形成が重要になるのは当然だ。報告書を契機に幅広い世代で老後資金の必要性が認識されることになった。

 日本では金融教育の普及が課題となっており、24年8月には司令塔となる金融経済教育推進機構が本格稼働した。その標準教材は、豊かな老後のために「老後資金の延伸を考えましょう」と説く。老後資金を長持ちさせるのは老後プランの基本だ。

 ところが、白書は「老後資金は十分だから取り崩したほうがいい」と勧める。

 このギャップはなぜ生じるのか。

 実は、白書の指摘は目新しいものではない。家計資産が高齢者に偏り、多くが現預金で占められ、有効活用されていないことは、課題として長年議論されてきた。

 ところが、今回の白書が触れていない点がある。高齢者間の金融資産格差が非常に大きいことだ。

 総務省の「家計調査」によると、65歳以上世帯(2人以上)の金融資産は23年で平均2462万円。資産ゼロの世帯を除き、資産の低い順に並べて真ん中になる「中央値」は1604万円で、資産が少ない世帯に分布が偏る。資産4000万円以上の世帯は全体の19%だが、同400万円以下も19%ある。

 高齢者の資産格差が大きいのは、現役時代の収入差が貯蓄差として積み上がり、退職金や企業年金、資産運用などの差も影響するためだ。厚生年金額は現役時代の収入に基づくため引退後の年収差を生む。親の相続時期を迎え、親の資産を引き継げばさらに差は開く。

 つまり、日本全体でみれば高齢者の老後資金は過剰かもしれないが、保有には偏りがあり、必ずしも個々の高齢者にはあてはまらない。むしろ近年は、金融資産が少ない世帯の割合が高まり、経済的に困窮する高齢者は増えている。過剰なのはもっぱら資産の多い人の話であり、「平均値」で論じてもあまり意味はない。

 ◇「教育資金の一括贈与」の今さら

 白書は、老後資産が有効に使われるための政策提案も挙げる。だが、格差の視点を欠くため、ややピントがずれている。

 政策提案は、まず、日本経済を成長型ステージに高めることを挙げる。経済が停滞していると将来不安から「子世代に財産を残そう」という動機につながるが、成長期待を引き上げれば、動機は緩むとする。さらに「教育資金の一括贈与」などの非課税措置などで資産移転を後押しすることを挙げる。

 これには違和感が大きい。

 まず、高齢者の3分の1は「財産を使い切りたい」と考えており、子世代に資産を残したいという動機はそもそもさほど強くない。一般に子世代への相続を強く意識するのは資産の多い人に限られる。

 そこで、生前贈与の税制優遇など、高齢者から現役世代への資産移転を促進する政策を導入すれば、金融資産を多く持つ人と持たない人の間で、世代を超えた格差を固定化するという問題が生じる。

 これについては、政府税調が「相続と贈与」で資産移転の時期が違っても中立的となる税制を提言し、すでに税制改正に反映されているところだ。

 「教育資金の一括贈与」に至っては今さら「後押し」する意図がわからない。もっぱら富裕層の節税に使われるなど問題があり、政府税調が廃止を求め、制度縮小の流れにある。

 また、白書は、政策提案として、公的年金制度の持続可能性を確保することや、「貯蓄から投資」の流れを進め、若年期から収益性の高い資産形成を促すことも提案する。

 こちらは大筋では異論はない。

 そもそも、公的年金の持続可能性を確保するのは当然で、反対する人は少ない。

 現役世代から長期投資による資産形成を促すのは、少額投資非課税制度(NISA)の拡充で流れができつつあり、息長く取り組むべき課題だ。

 ただし、白書は、現時点の高齢者資産が現預金に偏り活用されていない点を問題にしており、現役世代が今後取り組む資産形成とはテーマがやや異なるはずだ。

 そこで、現時点の高齢者資産を投資に振り向けるべきだとするなら、無理が生じる。投資理論でみれば、本来、高齢になるとリスク資産への投資配分を下げるのが自然だ。高齢になると認知機能が低下するため、一般には投資リスクを高めることには慎重になるべきだ。

 高齢化が金融に与える影響は大きくなっており、近年、金融と「老年学(ジェロントロジー)」を組み合わせた「金融ジェロントロジー」という学問分野が生まれ、研究が進んでいる。白書には、そうした知見も取り入れ、もう少し現実に踏み込んだ、深みのある分析を期待したいところだ。