四国と九州の「この場所」に、なぜ橋やトンネルを作らないのか?

AI要約

豊予海峡を結ぶ橋やトンネル建設計画が半世紀以上前から存在するが実現していない。

歴史的経緯や計画の停滞について紹介し、大分県知事の新たな推進姿勢で再び注目を集めている。

多軸型国土構造の一環として計画が位置付けられ、地域の経済発展や国土構造の促進が期待される。

四国と九州の「この場所」に、なぜ橋やトンネルを作らないのか?

「四国と九州のこの場所に橋を建設しない理由は何か?」

この疑問はSNSでたびたび話題になるテーマだ。8月16日にもX(旧ツイッター)で注目を集め、「5.3万いいね!」を獲得した投稿があった。その「この場所」とは、大分県と愛媛県が向かい合う「豊予(ほうよ)海峡」のことだ。

 具体的には、

・大分県東部の「佐賀関(さがのせき)半島」

・愛媛県西部に突き出た「佐田岬半島」

を結ぶ橋やトンネルの建設計画を指している。この壮大な構想は半世紀以上も前から存在しているが、いまだに実現していない。

 しかし、2023年4月に初当選した大分県の佐藤樹一郎知事は、この計画の推進を表明し、地元や九州各県で再び注目を集めている。

 豊予海峡ルートの構想は1965(昭和40)年の「第二東西道路構想」にまでさかのぼる。1969年には「新全国総合開発計画」で九州・四国連絡新幹線や自動車道の建設が明記され、そのなかに豊予海峡ルートも含まれていた。これは、日本の国土を「太平洋ベルト地帯」と呼ばれる太平洋側の1本の軸で結ぶのではなく、複数の軸で結ぶ

「多軸型国土構造」

の実現を目指すものであった。当時はあくまで構想にすぎなかったが、1990年代に入り現実味を帯びてきた。1993(平成5)年には大分県と愛媛県の行政や経済界による豊予海峡ルート推進協議会が設立された。1998年に策定された「21世紀の国土のグランドデザイン」では、第四次全国総合開発計画(四全総)で示された「多極分散型国土」の考え方をさらに発展させ、複数の国土軸による多軸型国土構造の形成を目指すために、豊予海峡ルートの実現が訴えられた。

 この時期、大分県と愛媛県は豊予海峡ルートに熱心だったが、計画は進展せずに停滞してしまった。2003年には、当時の広瀬勝貞大分県知事が厳しい財政状況から近い将来の実現は困難と表明し、事実上の計画凍結が行われた(このとき、愛媛県側は事業継続を求めて熱気を持っていた)。その後、豊予海峡ルートについては調査研究は行われるものの、進展がない状況が続いていた。しかし、佐藤知事が就任直後に

「機運を醸成し、国への働きかけを強めていきたい」

と述べ、積極的な推進姿勢を示したことで、豊予海峡ルートは20年以上ぶりに動き出した。