初飛行50周年 ヨーロッパ共同戦闘機「トーネード」万能性を追求したら“見込み客”半減なぜ?

AI要約

トーネード IDSは1974年に初飛行を行い、NATO加盟国が共同開発した多用途戦闘機である。

開発過程では複数国の要求性能の違いや意見の相違があり、計画は順調ではなかった。

最終的にイギリス、西ドイツ、イタリアの3か国で合弁会社を設立し、複座型の機体を開発することで合意した。

初飛行50周年 ヨーロッパ共同戦闘機「トーネード」万能性を追求したら“見込み客”半減なぜ?

 今から50年前の1974年8月14日、1機の軍用機が初飛行を行いました。機体の名前は「トーネード IDS」。同機は戦後から活発になった複数国による戦闘機共同開発のさきがけともいえる機体でした。

 1960年代後半、欧州はアメリカを中心とした北大西洋条約機構(NATO)の加盟国などの西側陣営、ソビエト連邦(現ロシア)を中心としたワルシャワ条約機構の加盟国などの東側陣営が対峙する東西冷戦のただ中にありました。

 当時、NATO加盟国のうち西ドイツ(現ドイツ)、オランダ、ベルギー、イタリア、カナダでは、運用していたアメリカ製のF-104「スターファイター」戦闘機が旧式化し、後継機を必要としていました。

 また、同じ頃イギリスも偵察機や攻撃機の後継機を計画し、さらに戦闘機に目を転じても現用のイングリッシュ・エレクトリック「ライトニング」やF-4「ファントム II」の後継機が必要とされている状況でした。イギリスは、先手を打って自国企業のBAC(ブリティッシュ・エアクラフト・ コーポレーション)とフランスのダッソーの間で次世代の可変翼機プロジェクトである「AFVG」を立ちあげていたものの、これはうまくいかずプロジェクトは中止されています。

 これを受け、イギリスはF-104の後継機を探す国々を新たにパートナーとして迎え、NATO加盟国の多くが使用できる、制空戦から地上攻撃、偵察まで全てを任せられる超音速の多用途戦闘機(マルチロール機)を作りだそうと考えます。それが1968年に開始された後の「トーネード IDS」となる「MRCA(多目的戦術機)」開発計画でした。

 しかし、同じNATO加盟国といえども、地理的事情により各国で要求性能は異なり、それをまとめるのは至難の業でした。たとえば、イギリスは空戦能力を欲しつつも、地上攻撃や偵察を重視していたのに対し、ほかの国は制空戦闘に優れた戦闘機が欲しいといった状況で、運用思想すら違っている状態だったのです。そのため、最初から計画通りスムーズにいくはずもありませんでした。

 計画の詳細が決まる前に、まずカナダとベルギーが離脱を表明。1969年3月にイギリス、西ドイツ、イタリア、オランダの4か国でひとまず制空戦闘、地上攻撃、偵察などの幅広い任務をこなす戦闘機を作るにはどうすればいいかの意見交換などが行われましたが、1970年に今度はオランダが、ここまで複雑で開発が困難な機体は不要と判断し、離脱してしまいます。

 結局、残ったイギリス、西ドイツ、イタリアの3か国で、エンジンや機体を開発する合弁会社である「パナビア エアクラフト」を設立。イギリスと西ドイツがそれぞれ業務量の42.5%の株式を取得し、イタリアが残りの15%を保有する形で本格的な戦闘機の開発がスタートします。

 しかし、この後も同機をふたり乗りの複座機にするかひとり用の単座機にするかで、イギリスと西ドイツが揉めることになります。このときは結局、複座型を推すイギリスの案が通ります。