スケボーのスポタカ5代目は草野球の店に商機 「遊び心」を柱にすそ野を広げる

AI要約

スポーツ用品店の老舗、スポーツタカハシについて紹介。2021年東京五輪から正式競技となったアクションスポーツの品揃えや、5代目社長の若き経営者の取り組み、そして新たな事業展開について述べられています。

創業102年を誇るスポーツタカハシは、アクションスポーツの商品が豊富であり、スケートボード専門店やスケートボードパークも運営している。また、新たな事業としてeスポーツにも注力している。

若き経営者が親から引き継いだスポーツ用品店の経営に挑戦し、店舗移転や組織改革を展開している様子が描かれている。

スケボーのスポタカ5代目は草野球の店に商機 「遊び心」を柱にすそ野を広げる

 創業102年のスポーツタカハシ(大阪市中央区)は、大阪・なんばに大型店を構え、「スポタカ」の愛称で親しまれるスポーツ用品店です。2021年東京五輪から正式競技となったサーフィンやスケートボード、そしてスノーボードなど「アクションスポーツ」の品ぞろえを強みにしています。5代目社長の高橋勇多さん(36)は、紙文化からIT管理への転換、社内コミュニケーションの強化などの組織改革を推進。父と同じくスポーツ用品の新市場を切り開きつつ、2024年には草野球に特化した新店舗を開くなど、スポーツの「遊び心」を柱に挑戦を続けています。

 スノーボードやスケートボード、そしてサーフボード…。スポタカの店内をのぞくと、他にはないスポーツ用品がずらりと並びます。アイテム数は全カテゴリーで6千~7千点にのぼります。現在は3店舗を抱え、心斎橋のスケートボード専門店「スポパー」の隣には、全天候型のスケートボードパークも設け、子どもたち向けのスクールを開いています。

 スポーツ用品販売を中心に年商は約5億円。従業員数は40人前後(正社員27人、2024年5月現在)です。

 2019年には、eスポーツ事業「スポタカEX」を立ち上げました。高橋さんは「顔の広い父や地域の町衆に声をかけ、人が集まる仕かけを考え、心斎橋でeスポーツの大会を開きました」。

 「町衆」という響きが、大阪中心部で長年商売をしてきた歴史をうかがわせます。

 スポタカは1922(大正11)年、大阪・なんばで創業しました。日本でサーフィンがはやり始めた1960年代、いち早く海外からサーフボードを買い付け、1990年代に年商は大きく伸びました。

 子どものころから「家業を継げ」と言われた記憶がなく、高橋さんは「親に頼りたくない気持ちが強かった」と振り返ります。

 「中学で剣道、高校でアメリカンフットボール、大学でゴルフをプレーしましたが、これらの用品はすべてスポタカでは扱っていないんです」

 大学卒業後は大手IT商社で営業職を務めます。入社5年後の2015年、4代目の父勝彦さんから「あと1週間で(当時本店があった)道頓堀のスポタカビルを出て店を移転する」と告げられました。

 当時は売り上げ減少や在庫の滞留で資金繰りが悪化。財務健全化のため、店舗を移転・縮小し、空いたフロアを貸し出そうとしたのです。

 「未来永劫続くと思っていたスポタカビルを出るなんて。そんなに会社はヤバい状況なのかと、初めて意識しました」

 高橋さんは27歳でスポタカに入ります。スポタカビルは最上階の12階に本社機能だけを残し、今に至ります。