祖父から船長を託された26歳 「漁師になる」と決め8年 東日本大震災・原発事故を乗り越えて福島の海で生きていく

AI要約

福島県南相馬市の新船船長が初めてのシラス漁に出航する。

祖父から船を託された若き船長の物語。

福島県内の漁業に明るい兆しが見え始めている。

祖父から船長を託された26歳 「漁師になる」と決め8年 東日本大震災・原発事故を乗り越えて福島の海で生きていく

福島県南相馬市の漁港で、2024年に新たに造られた一隻の船。漁師である祖父から孫に託された船だ。祖父の背中を追いかけ漁師となった若き船長が、初めてのシラス漁に出港した。

福島県南相馬市の真野川漁港に、新鮮なシラスを水揚げしたのが第三長栄丸の船長・桑折亮佑さん(26)。船長になって、初めてのシラス漁で力が入っている。「魚種豊富で、とれる魚が何でもおいしいところが自慢。自信あります」と桑折さんはいう。

東日本大震災の津波で、甚大な被害を受けた南相馬市で唯一の漁港・真野川漁港。45隻あった漁船はほとんどが損壊し、桑折さんの祖父・武夫さんの船も津波にのまれた。

漁ができず、海でガレキを集める日々。「もう漁師は辞める」・・・そう考えていた武夫さんを留まらせたのが、当時・高校生だった桑折さんだった。

「魚好きだから、とりあえず漁師をやりますと。昔から魚を毎日食わしてもらっていたから」と桑折さんは当時を振り返る。

「漁師になる」と、高校卒業とともに桑折さんは福島の海で生きていくことを決めた。祖父・武夫さんは「孫が漁師をやるなら、いいなと思った。頑張るしかないと思った」と語る。

しかし、原発事故の影響で福島県の漁業は一変した。とる魚の種類、漁の回数を制限しながら始まった「試験操業」。福島県漁連は、国よりも厳しい基準値を設け放射性物質の検査を行い、安全性を確認。徐々に水揚げ量を拡大しながら、原発事故から10年を経て、本格操業への移行期間に入った。

桑折さんは「試験操業期間は、漁に行けるのがたまにだから、仕事の流れも全然覚えられなくて。そんなこともあり、もっと行きたいなとは、ずっと思っていた」という。

桑折さんが漁師となり、8年目の2024年。祖父・武夫さんは、新たに船を造り船長を託した。桑折さんは「これは、じいちゃんとじいちゃんの兄に造ってもらった新しい船で、とても嬉しかった」と話す。

船の名前は「第三長栄丸」。祖父の船から名前を受け継いだ。祖父・武夫さんは「頑張ってとってもらいたい。若い者の時代だから、頑張ってもらいたい」と話した。

真野川漁港にいる同じ20代の漁師たちが、桑折さんの大きな支えとなっている。桑折さんは「みんなで協力して、みんなで長く漁を続けて行ければいい」と話す。

福島県内では、2023年度に漁業の新たな担い手が震災後最多となるなど、明るい兆しも出ている。

「魚をとるため、場所や時間把握など自分で決めてやらないといけない。とりあえず、やれることやって、ずっと必死」と話す桑折さん。

まずは一人前の船長を目指して。祖父から託された思いを胸に、これからも福島の海と共に生きていく。

(福島テレビ)