スクールバッグから生まれた「さよなら紙袋」 ヒットの秘訣は「あるものアレンジ」

AI要約

片岡商店は、スクールバッグの販売事業で長年繁栄してきたが、少子化や原材料高などの要因で業績が悪化。5代目の片岡勧が事業を立て直すために取り組む姿勢が明らかになる。

片岡商店は、創業から120年以上の歴史を持ち、元々鞄の産地である兵庫県から広島に進出して創業。軽量で収納量が多いスポーツバッグなどを販売し、学校向けの防水ナイロン製バッグで知られるようになった。

片岡勧はフリーランスとして成功を収めながらも、家業である片岡商店の課題を認識し、経営を継承。事業の厳しい状況や父親の想いなどから、会社を立て直す覚悟を決意する。

スクールバッグから生まれた「さよなら紙袋」 ヒットの秘訣は「あるものアレンジ」

 1897年創業の片岡商店(広島市)は、スクールバッグの販売で事業を伸ばしてきました。しかし、少子化や原材料高が進むなかで業績は悪化。フリーランスから家業に戻った5代目の片岡勧取締役は、粗利率が低い現状を打破しようと、ひたすらに動き続けます。最初に取り掛かったのが、事務所の整理整頓。つぎに、スクールバッグをベースにしたビジネスバッグ「さよなら紙袋」を開発。さらに、卸先との契約見直しも進めるなかで、累積赤字を解消させました。

 広島市の原爆ドームから西へ800m。1897年創業の片岡商店のルーツは、日本有数の鞄の産地である兵庫県豊岡市です。創業者の片岡又平が日清戦争後、豊岡市から軍港としてにぎわっていた広島に進出。兵隊が荷物入れに使う柳行李などを製造販売していたといいます。

 戦後、旅行かばん・袋物・雨具卸業として業務を再開し、1980年ごろから、学校向けに、軽量で収納量多い防水ナイロン製スポーツバッグを販売するようになりました。

 片岡勧さんは、人材会社やフォークリフトの製造販売会社を経て、ブロガーやWEBサイト制作のフリーランスとして活躍する傍ら、実家の片岡商店も手伝っていました。

 そこで見えてきたのが、原価が上がっても値上げしづらい学校の備品という特性と、少子化により次第に利益を出しづらくなっている構造で、赤字が続いていました。

 2020年秋、このまま続けるべきか、廃業か、事業譲渡か…。今後の片岡商店を話し合う家族会議が開かれました。「もしかしたら片岡商店がなくなってしまうかもしれないと思うと、惜しい、もったいないという気持ちが急に生まれてきたんです」

 「3人きょうだいの長男なので自分がやらなければと」と話す片岡さん。事業を引き継ぐ決意をしたのは、現社長である父のこともあったのだといいます。

 「父は約40年間、ずっとがんばってきたので、受け継いできた店を自分の代で閉じるとは言いづらいはず。息子がやれるところまでやって、それでも無理だったら踏ん切りもつくんじゃないか。そう思って引き受けた部分もありました」

 片岡さんは一度、取引先に修行に出て、戻ってからは地道な経営改善に取り組みます。心の中では修行先から「逃げたい」と思ったこともあり、会社に戻ってからも社外と交渉しながら、社内では社長と意見がぶつかることも増えました。

 そんな心境だったからか、当時ヒットしていた漫画「鬼滅の刃」の主人公の「俺は長男だから我慢できたけど…」というセリフにこみあげてくるものがあったといいます。