43年のロングセラーとなったSRの歴史は、エイプリルフールの企画から始まった?

AI要約

SRシリーズは、43年間にわたって生産され、バイク史上のキング・オブ・シングルとして栄えた。1990年代のSRブームがネオクラシックバイクカテゴリーの源流となり、その影響は現在も続いている。

SRの起源は、オフロードバイクXT500をベースにして作られたスポーツバイクであるということ。1977年の鈴鹿6時間耐久レースで偶然誕生した「ロードボンバー」がSRのプロトタイプとして一役買った。

SRは当初スポーツバイクの要素が強かったが、ヤマハ自身がSRをクラシックバイクベースとしてポテンシャルを見出し、ネオクラシックブームへとつながっていった。時代の要請や新たなカスタムスタイルの提案がSRの進化に影響を与えてきた。

43年のロングセラーとなったSRの歴史は、エイプリルフールの企画から始まった?

43年間という長い間生産が続けられたSRシリーズは、日本のバイク史上におけるキング・オブ・シングルであると言って過言ではないだろう。ネオクラシックというバイクカテゴリーが定着して久しいが、その根源となったのは1990年代に起こった「SRブーム」である。生産が終了して3年が経った今、改めてSRというバイクを見つめ直してみたい。

文/Webikeプラス 後藤秀之

SR元々はオフロードバイクXT500をベースにしたスポーツバイクであり、そのプロトタイプと言えるのが雑誌モト・ライダーとモーターサイクリスト誌の元メインテスターであった島 英彦氏が作り上げた「ロードボンバー」である。元々はエイプリルフールの企画であったが、実際に走るバイクを作ってしまったのである。筆者は個人的に島氏と交流があり、第一線から退いても最新のモトGPマシンの技術について熱く語っていたことを思い出す。このロードボンバーは1977年の鈴鹿6時間耐久レースに参加し、なんと18位という成績を残している。ちなみにこの時のライダーは、今も現役のモーターサイクルジャーナリストである山田 純氏と堀ひろ子氏のおふたりである。さらに翌1978年の鈴鹿8時間耐久レースでは、総合8位、クラス6位を獲得するに至った。

少し話が逸れたが、エイプリルフールの企画は現実のものとなり、ヤマハから1978年にSRが発売された。このようにSRの出自はシングルエンジンを積んだスポーツバイクであり、発売翌年にはホイールがキャストホイールへと変更されてたのもその流れである。しかし、SRブームが来るよりも以前に、ヤマハ自身によってSRはクラシックバイクベースとしての可能性を見出されている。それはキャストホイールからスポークホイールへとサイド変更した1983年と、元々ディスクブレーキであったフロントブレーキをドラムブレーキへと変更した1985年のことだ。このスポークホイール+ドラムブレーキとなったSRをベースに、オレンジブルバードやモトサロンといったショップがクラシカルなブリティッシュレーサースタイルのカスタムを作り始め、それがやがてメーカーまで巻き込んだネオクラシックブームへと発展していったのである。ドラムブレーキからディスクブレーキへの変更は、メカニズム的な見地からすると退化である。しかし、時代がそれを求めたのと、ロードボンバーの提案したシングルスポーツバイクの正常進化系としてのSRX600/400が同じ1985年に発売されたことも関係しているだろう。