【大規模迫害から7年】「あの子たちは元気かな」 ロヒンギャを撮り続ける新畑克也氏 クーデター後のミャンマー 世界に黙殺される悲劇

AI要約

ロヒンギャはミャンマーで迫害を受け、難民キャンプに避難しているイスラム教徒少数民族である。

写真家の新畑克也さんがロヒンギャを撮影し、その現状を伝える活動を行っている。

ミャウーのダッカンゼイン寺院やロヒンギャの集落を訪れた新畑さんは、彼らの苦境を目の当たりにし、彼らの声を届けようと努めている。

【大規模迫害から7年】「あの子たちは元気かな」 ロヒンギャを撮り続ける新畑克也氏 クーデター後のミャンマー 世界に黙殺される悲劇

ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャ。2017年8月25日に大規模な迫害を受けてからまもなく7年が経つ。主な居住エリアのミャンマー西部ラカイン州に隣接するバングラデシュ南東部コックスバザール県には100万人規模の難民キャンプが形成されている。

写真家の新畑克也さんはそんなロヒンギャを撮り続けている。2015年にロヒンギャの村を訪れたことをきっかけにロヒンギャやラカインの問題に関心を持つようになったという。その後は主にラカイン州やバングラデシュの集落、難民キャンプで撮影を続け、日本最大のロヒンギャコミュニティがある群馬県館林市では定期的に写真展を開催している。

新畑さんがこれまでに撮った写真を通して、ロヒンギャの過去と現在をお伝えする。

(以下 写真と文=写真家・新畑克也)

ミャンマー西部ラカイン州ミャウーの中心部で存在感を放つダッカンゼイン寺院。1571年に当時のアラカン王国のミンパラウン王の命により建立されたミャウーで最も有名な遺跡の一つ。

ミャウーはバガンに続く歴史的な遺跡群で有名な人口約16万人の町。その遺跡にはかつて15世紀から18世紀にこの地で繁栄を極めたアラカン王国の面影が残る。アクセスは最大都市ヤンゴンから飛行機でラカイン州の州都シットウェへ飛び、さらにボートで約7時間かかる。

前日にミャウーで泊まった宿で組んでもらったチン族の集落を訪れるツアーの途中で、異様に人口密度が高くイスラム教徒の服装をした人々が車窓の景色に飛び込んできた。

「彼らはロヒンギャに違いない」と翌日に真相を確かめるべく宿から郊外へ続く幹線道路を歩いた。1時間半ほど歩き続けると徐々に無邪気な少年たちが私の周りに集まってきた。

雨季の茹だるような蒸し暑さで2時間近く歩き続けてようやく辿り着いた村。売店で水を買い休息していると、外国人の訪問が珍しいのか村の人々が続々と集まってきた。幼子を抱えた若い母親も不思議な表情で私を見つめている。

2015年10月当時、私はミャンマーに只ならぬ縁を感じて10回近く訪れていたが、これほど多くの人々に囲まれた経験は初めてだった。

私はずっと気になっていた、単純だが勇気の要る質問をしてみた。

「あなたたちはロヒンギャですか?」

すると「そうだよ。私たちはロヒンギャだよ!」と大勢の人々から返事が返ってきた。

「良かった。私はずっとあなたたちに会いたいと思っていました」

村で2、3人英語が話せる若者が現れて私の言葉を訳してくれた。

彼らは「オー!」と盛り上がり、私を歓迎してくれている様子だった。

「世界で最も迫害されている民族」といわれるロヒンギャ。長年ミャンマーで暮らしているにも関わらず彼らは国籍を剥奪され移動の自由すら奪われており、深刻な差別や迫害に苦しみ続けている。ミャンマーでは「ロヒンギャ」というフレーズすらタブー視されており、口にすることすら遠慮せざるを得ない空気がある。