「ルールなんてない、ただ退屈だから撃った」─元兵士が証言するイスラエル軍の驚きの行動

AI要約

ガザ地区でのイスラエル軍の行動に関する証言が衝撃を与える。兵士たちは規則や自制を無視し、無差別に民間人を撃つ、家に火をつけるなどの行為を繰り返していた。

現地の証言者によると、軍は明文化された従軍規則を渡しておらず、兵士が自己判断で行動していた。その結果、多くのパレスチナ人犠牲者や友軍の死者が出ていた。

証言者たちは許可なく発砲することが日常化しており、命を軽視する様子が伝えられた。軍の行動は制約なく自由に行われていたという。

「ルールなんてない、ただ退屈だから撃った」─元兵士が証言するイスラエル軍の驚きの行動

ガザ地区のイスラエル兵は好きなだけ撃ち、家に火をつけ、死体を道に放置していく──実際に戦場に派遣されたイスラエル軍の兵士たちがイスラエル・パレスチナ合同独立系メディア「+972マガジン」とイスラエルの独立系メディア「ローカル・コール」に証言したのは、規則や自制もなく、ただ好き放題に振る舞うイスラエル軍の姿だ。

パレスチナの民間人のみならず、仲間のイスラエル兵や人質の命さえ軽視する状況を目の当たりにし、良心の呵責を感じる証言者もいる。

2024年6月上旬、中東メディア「アルジャジーラ」によって、「簡易処刑」と呼ばれるものの実態を暴露する痛ましい映像シリーズが放送された。そこには、イスラエル兵がガザ地区の海岸沿いを歩くパレスチナ人を射殺する場面が3つ含まれていた。そのいずれにおいてもパレスチナ人側は丸腰で、兵士に危害を加えようとしている様子もなかった。

ジャーナリストによるこうした映像が世に出ることはまれである。しかし、こうした安全上の合理性がいっさいない「処刑」は、「+972マガジン」と「ローカル・コール」の取材に応じた、ガザでの従軍をこの数ヵ月中に終えたばかりの6人のイスラエル兵の証言と一致するうえ、パレスチナ人や医師による目撃証言とも一致する。

複数の証言者によると、兵士たちは明らかに何も制限を受けずに、日常の兵務の憂さ晴らしや退屈しのぎのために民間人を撃っていた。

「兵士たちはこの軍事行動であらゆることを経験したいと思っていた」。ガザ北部での兵務を経験した予備役のSは、こう回想する。「私個人も、海や廃墟に向けて数発、理由もなく発砲した。軍はこうした『退屈だから発砲した!』という事象をも、『一般発砲』というコードネームのもとで報告する」

最高裁判所に幾度となく求められているにもかかわらず、イスラエル軍は1980年代より発砲規制を非公開にしている。社会学者のヤギル・レヴィによると、第二次インティファーダ以降、「軍は兵士に明文化された従軍規則を渡していない」状態が続いており、その解釈は現地の兵や司令官に一任されているという。

複数の証言者が、こうした緩い規制は3万8000人のパレスチナ人犠牲者を出したことに留まらず、友軍の誤射による死者を大量に出したことの一因でもあると述べる。

「軍事行動は完全に自由におこなわれている」と語ったのは、正規軍として、大隊司令部での勤務も含め数ヵ月をガザで過ごした証言者Bだ。「ちょっとでも脅威を感じたら、ただ撃てばいい」

誰かが近づいてくると、兵士は「空中への威嚇射撃ではなく、彼らの体の中心部に撃つことが許可されており、相手が少女でも、老女でも、誰でも撃っていい」のだという。

Bは、2023年11月、ガザのゼイトゥン地区で、行き場を失ったパレスチナ人の避難所となっていた学校の閉鎖に伴う脱出の際、イスラエル兵が数人の民間人を射殺した事件についても語った。軍は民間人に対し、兵が詰めている右側ではなく海のある左側に向かうようにと指示した。だが、校舎内で銃撃戦が勃発し、その混乱のなかで道を誤った者は直ちに射殺されてしまった。

「ハマスの諜報員がパニックを生み出した」とBは供述した。「衝突は校舎内で発生し、人々は逃げ惑った。多くは海のある左へと逃げたが、右側に逃げてしまった人もいた。そのなかには子供もいたが、15人から20人が射殺された。後には死体の山が残った」