【パリ五輪】難民選手団へ東京から贈るエール 「衣装」に込めた選手への願いとは

AI要約

ミャンマーからの政治難民であるファッションデザイナー、渋谷ザニーさんがパリオリンピックの難民選手団に衣装を贈る。

ザニーさんは困難を経て日本に亡命し、ファッションで自己表現を重視してきた。

渋谷の街がザニーさんのファッションデザイナーとしてのキャリアを形成した。

【パリ五輪】難民選手団へ東京から贈るエール 「衣装」に込めた選手への願いとは

かつてミャンマーからの政治難民として来日し、現在はファッションデザイナーとして活動する渋谷ザニーさん。ザニーさんは今回、パリオリンピックに出場している「難民選手団」のメンバーに、自らデザインした「衣装」を贈ります。東京からパリへ、エールとして贈られる衣装に込めた思いとは…。

ファッションデザイナーの渋谷ザニーさん(39)。東京を拠点に上海、バンコク、パリなど世界各地で活動し、過去には総理大臣や国賓、皇族の服も仕立てた経験もあるという、一流デザイナーだ。現在は1歳6か月の子どもと妻と仲むつまじい家庭を築き、日本で暮らしている。

そんなザニーさんだが、今の人生を歩むまでに大きな困難があった。

ビルマ(現ミャンマー)では1988年、民主化を求める全国的なデモにより、26年間続いた社会主義政権が崩壊した。しかし、国軍がデモを鎮圧し、クーデターを起こす。ソウマウン国防相兼参謀総長を議長とする国家法秩序回復評議会(SLORC)が政権を掌握した。

両親が民主化活動家だったというザニーさんは、1993年、8歳の時に家族と日本へ亡命。政治難民として日本に来ることとなる。

日本に来たばかりの頃は日本語も分からず、いじめられるのではないかという不安もあったという。そこで、心がけたのが、幼少期から好きだったという“ファッション”だった。毎日、自分で服にアイロンをかけ、毎週のように靴を磨く。身なりを整えることが当時のザニーさんなりの“いじめ対策”だったのだ。ファッション効果は大きく、言葉は通じずともクラスメートから一目置かれるようになり、人気者になっていった。

そして高校2年生の17歳の時、ザニーさんはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で難民認定を受けた。

2005年、東京・渋谷では若者のストリートファッションが次々と流行を生み、街中が「世界を代表するようなファッションスポット」だった。日本の大学に通っていたザニーさんは、渋谷センター街を拠点にモデルとして活動するようになった。雑誌や、街のアイコン的存在である「SHIBUYA109」のビルボードにも掲載されたことがあるという。

ファッションデザイナーとしての今の自分を形成したのは、紛れもなく「渋谷」という街があったから――