「私たちの『汚染された楽園』で五輪が開かれている」─パリ五輪サーフィン会場タヒチの、隠蔽された「核汚染」の歴史

AI要約

タヒチのテアフポオで開催される2024年パリオリンピックのサーフィン競技。しかし、かつてこの地でフランスによる核実験が行われ、住民が健康被害を被っている実態がある。

現地の村長であるポアレウは、放射能の影響で村人ががんを発症する悲劇に直面。フランス政府による補償手続きは長く待たされたが、一部の被害者は認定された。

オリンピック開催地として誇りを感じつつも、フランスへの怒りも抱えるポアレウ。家族の苦しみは決して忘れられない。

「私たちの『汚染された楽園』で五輪が開かれている」─パリ五輪サーフィン会場タヒチの、隠蔽された「核汚染」の歴史

2024年パリオリンピックのサーフィンの会場となった、南国の楽園として知られるタヒチ。しかし、この地の住民はフランスが長年にわたっておこなった核実験による健康被害に苦しめられていた。現地に住む人々は、いまでも核の影響を感じ続けている。

南太平洋の海からテアフポオの海岸に向かって、美しく力強いうねりとともに、波が打ち寄せていく。50年前の7月もそうだった。だがそのとき、この小さな集落には、空気中の、目に見えない別の波も押し寄せていた。それはフランスが、本土から遠く離れた共和国の一部であるこの場所でおこなった核実験で生じた放射能の波だった。

ロニウ・トゥパナ・ポアレウはテアフポオで生まれた。家族が代々住む家はヤシの木とハイビスカスの茂みに囲まれている。現在、テアフポオの村長を務めている彼女は、渦を巻き泡を散らしながらサーフボードに推進力を生み出す理想的な青い波のおかげで、同地が地球の反対側のパリで開催される今年の夏季オリンピックのサーフィン競技の会場に選ばれたことを誇らしげに語る。

だが、観光パンフレットに載っている明るい海の風景の裏には、秘密が隠されていた。機密指定から解除されたフランス軍の資料によると、1974年7月に放射能の雲が突然上空を漂った後、テアフポオではタヒチで最も高い放射線量が記録されたのだ。それは住民には知らされなかった。

ポアレウのきょうだいは、当時のほかの子供たちと同様、放射性降下物の悪影響を特に強く受け、放射線被ばくが原因とされる各種のがんを発症した。ほかの親族や村人たちも、がんで亡くなった。数年前、ポアレウは人口1500人の村の一軒一軒を訪ね、60人の住民が同様のがんにかかっていることを発見した。村長になってからも、地域の被害の全容を知らなかったのだ。

フランス政府は、仏領ポリネシアで30年にわたっておこなった核実験による健康被害を長年認めようとしなかったが、ついに2010年、放射線関連の病気の被害者を認定して補償する手続きを開始した。それは官僚的で、煩雑な書類申請が求められるものだったが、複数のがんと診断されていたポアレウのきょうだいの一人は、申請に成功した。だがポアレウは、公式に認定されようとも、きょうだいたちの傷は癒えないと言う。

「オリンピックのサーフィン競技が地元で開催されるのはうれしいですし、テアフポオの名が世界中に知られて誇りに思います。けれども、家族の苦しみを見ると、フランスが憎くもなります」