ピザ配達員の難民からノーベル生理医学者になるまで──アーデム・パタプティアンの「人生を変えた教育」

AI要約

ノーベル生理学・医学賞を共同受賞したアーデム・パタプティアンの物語。彼は難民として米国に渡り、科学者として成功を収めた苦難の経験を経て、生理学の分野で革新をもたらした。

パタプティアンは移民としてのキャリアで自己の価値を証明する必要があり、米国で科学者として疎外感を味わった。しかし、逆境を乗り越えてノーベル賞を手にした。

移民の身であることが科学的成功に役立ったと語るパタプティアンは、極めて縄張り意識の強い人間社会に疑問を投げかけると同時に、移民の持つ強さを称賛している。

ピザ配達員の難民からノーベル生理医学者になるまで──アーデム・パタプティアンの「人生を変えた教育」

2021年に温度や触覚を脳に伝える受容体の仕組みを解明したことで、ノーベル生理学・医学賞を共同受賞した米国の分子神経生物学者アーデム・パタプティアン。彼は難民として米国に渡ったが、苦労して学び、世界を代表する科学者になった。スペイン紙「エル・ムンド」がその経験や研究について話を聞いた。

分子神経生物学者アーデム・パタプティアンの話は、「アメリカン・ドリーム」という神話を再び信じさせてくれる。

1967年、ベイルートで生まれたパタプティアンは、20世紀初めの「アルメニア人虐殺事件」の犠牲者の孫である。1986年、18歳でレバノン戦争から逃れ、難民として米国にやってきた。無一文に近い状態だったが、ドミノピザの配達員として働いたり、アルメニア系の新聞に星占いを執筆したりして、カリフォルニア大学に通う学費を稼いだ。それから35年後、パタプティアンは、ノーベル生理学・医学賞を受賞する。受賞理由は、未知の領域が最も広いとされる感覚、「触覚」の謎の一つを解き明かしたことだった。

だが、だまされてはいけない。どんなハッピーエンドの「夢」にも、問題点や影の側面がある。「移民であるがために、科学者としてのキャリアを通して、自分の価値を証明しなければなりませんでした」とパタプティアンは話す。

スペインの科学賞「ジャウメ1世賞」の審査員を務めるため、バレンシアを訪れた彼は、難民に批判的な政治家への支持が欧米で高まっていることを嘆く。「難民として人生をゼロから始めるのは本当に大変でした。いつも助けの手が差し伸べられるわけではありません。なぜなら現実には移民を蔑む人たちがいるからです」

彼も米国で疎外感を何度も味わった。「特に受け入れてくれた国でそう感じるのは、とても悲しいことです。米国のノーベル賞受賞者の多くが、同国で生まれてすらいないという事実を米国人は忘れがちです」

そう言って、彼は生物学者らしく、こう指摘する。「動物の世界で移住するのは普通のことです。たとえば鳥類は、誰にも非難されることなく、一つの場所から別の場所へと定期的に移住します。ところがどういうわけか人間は、極めて縄張り意識が強いのです」

そう言いながらも、パタプティアンはよく笑顔を見せ、こう言い切る。「難民であることは、科学で成功するうえで役に立ちました。運だけに頼るべきではないことを学べたからです。人生を理解し、ノーベル賞へと続くキャリアを歩むカギになったと思います。研究室で成功をつかむには打たれ強くなくてはなりませんが、移民ほど打たれ強い人々はいませんからね」