現代のパリでたどる、フランスの国民的ヒロイン「ジャンヌ・ダルク」の闘いのあと

AI要約

百年戦争(1337~1453)は、フランスとイングランドの覇権をめぐる対立から始まり、長期にわたる戦争となった。

戦争の舞台は主にフランスで、数々の歴史的な戦いが繰り広げられた。

戦争の中でペストや経済危機、飢饉などさまざまな苦難が発生し、人々の生活は困難を極めた。

現代のパリでたどる、フランスの国民的ヒロイン「ジャンヌ・ダルク」の闘いのあと

2024年の夏、オリンピックの開催で注目されるフランス・パリ。「芸術の都」「花の都」「美食の街」などの異名をもつこの街は、長年世界中の人々の憧れの的となっている。そんなパリに傾倒して何度も訪れ、人生の大半を捧げてきた著者が、パリの歴史を独自の視点から物語る。

『物語 パリの歴史』(高遠 弘美著)より抜粋・編集して、パリオリンピック開催中の今こそ知っておきたいパリの歴史を紹介する。

フランスを主戦場として英仏が攻防を繰り広げた百年戦争(1337~1453)。

ボルドーを中心とするアキテーヌ地方とガスコーニュ、そして織物産業が盛んなフランドルの支配を目指すフランスと、スコットランドやウェールズを含むブリテンの支配を優先しつつも虎視眈々とフランス支配を狙うイングランドは、歴史的に影響力が強い大陸南西部での覇権をめぐって対立を続けてきました。

そうした対立の果てに百年戦争が勃発したのですが、そもそもの火種は、スコットランドから亡命してきた国王をフランスがかくまい、フランスから追われた亡命貴族をイングランドが保護したという点にありました。どんな戦争でもそうでしょうが、そこにさまざまな要因が絡み合って、間歇的な休戦を挟んでいるとはいえ、百年以上も続く戦争に突入していったのです。戦争の舞台はほとんどがフランスで、各地で繰り広げられる戦闘がフランスの国土を荒らしてゆきました。

何しろ百年を超えるほど長い期間にわたった戦争ですから、歴史的な戦いと言われるものはいくつもありました。それを紙数の限られたなかで逐一記すことは控えます。ただ、その期間に何があったかをいくつか書けば、何度もペストが猖獗をきわめ、国王は五人を数え、市壁が拡大され、対外貿易もままならず、深刻な経済危機に見舞われただけでなく、度重なる饑饉と厳寒のためパリ周辺には狼も出没するといったように、いつ終わるとも知れぬ戦争に加えて、さまざまな苦患に蔽われた日常だったのです。人々にとって明日に希望を持てないひどく苦しい毎日だったに違いありません。