《ブラジル》記者コラム=魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは

AI要約

自らの涙に疑問を抱きながら、過去の日本移民迫害に関する連邦政府の謝罪を目撃する記者の感情を描く。

宮城あきらさんがブラジリアで謝罪決定を宣言し、歴史的重要性を語る。

過去のトラウマに対する新たな議論の開始と、歴史の正確な記録の重要性について述べられる。

《ブラジル》記者コラム=魂が洗われる瞬間に立ち会う=天国で先人が微笑む歴史的な日=政府謝罪が実現した意義とは

 「なんで自分はこんなに泣いているんだろう」と不思議に思いながら、取材中にあふれてきた涙をワイシャツのそでで何度も拭った。ほとんど布が乾く間もなかった。1992年に邦字紙記者を始めたが、こんな経験は初めてだった。

 きっとサントス強制退去事件で追い出された6500人の先人、なんの罪もなくアンシェッタ島に収監されて拷問を受けた人達、戦争中に人種差別によって被害を受けた邦人の魂がこの会場に降りてきて無言の圧力を発し、じっと謝罪の一言を待っているからではないか―そんな気がした。

 「皆さん、今日は本当に歴史的な日であります。ブラジル政府は日本移民に対して謝罪を決定しました。今日は忘れることのできない歴史的な日になりました」(1)――25日、首都ブラジリアの人権市民権省の恩赦委員会で、大戦に関わる日本移民迫害に関する連邦政府の謝罪を決定した直後、ブラジル沖縄県人移民研究塾『群星』編集長の宮城あきらさんは壇上で「謝罪決定」の紙を持ち、そう噛みしめるように語った。まさにその通りだと思った。

 これによって「一つの運動が完結した」もしくは「終わった」というより、不思議なことに「新しい次元に移った」「パンドラの箱が開いた」という感触を感じている。

 というのも、大戦に関わる日本移民迫害に関する連邦政府の謝罪を人権市民権省の恩赦委員会が25日に決定する一連の流れの中で、「映画『オキナワ サントス』が上映されてから、自分の身近な親戚が実はサントス事件の被害者だったと語り始めた」とか「戦中戦後、小学校で同級生に『キンタ・コルーナ(スパイ)』といじめられていた」などという声が次々に上がり始めているからだ。

 今まで「言うべきではない」「言ってはいけない」と思ってフタをしていた遠い過去の辛いトラウマを、今なら直視しても良いんだと思い直す機運が起き始めている感じがする。きちんとした歴史を残すという意味では、とても重要なことだ。