歯が折れても化膿するまで放置される…イランの女性刑務所のヤバすぎる「医療事情」

AI要約

イランでの言論・服装の自由を求める活動家が逮捕され、過酷な拷問を受ける実態がナルゲス・モハンマディによって告発された。

拷問を受けたザラ・ザクタチの体験を通して、独房の悲惨な状況や尋問の厳しさが明らかになっている。

『白い拷問』の一部を紹介し、世界における人権侵害の実態に対する認識を広める試みが続けられている。

歯が折れても化膿するまで放置される…イランの女性刑務所のヤバすぎる「医療事情」

イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。

上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。

世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行に先駆けて、内容を一部抜粋、紹介する。

『白い拷問』連載第12回

『「正気を保っていられない」…イラン刑務所の「絶望の缶詰」に監禁された無実の人権活動家がとった「最後の手段」』より続く

語り手:ザラ・ザクタチザラ・ザクタチ(1969年生まれ)は社会科学の学者、研究者である。

2013年10月16日、彼女は諜報治安省に路上で逮捕された。その日から2014年12月まで、独房に拘禁され、厳しい尋問を受けた。夫のセイド・ジャヴァド・コシニヤット・ニクー、そして娘のナルゲス、妹のファエゼもまた同時期に数日間拘禁された。その後ザラ・ザクタチだけが一度の釈放もなく、刑務所に拘禁されている。

――いつ、どのように逮捕されましたか?

2013年10月16日、路上で逮捕され、すぐに独房に入れられた。諜報治安省管轄のエヴィーン刑務所209棟に引き渡され、最初の33日間は誰とも会えなかった。私の逮捕時に夫も逮捕されたとのちに知ったが、当時も、現在も、夫が政治活動をしたことは一度もない。

――尋問はどれくらい続きましたか?

私が独房にいた14ヵ月の間、3ヵ月は尋問があった。だいたい10日に1回程度の頻度で尋問官が来て、尋問は朝の9時か10時頃に始まる。昼時、尋問官が出かけてランチを食べ、戻ってくるまでの間は、尋問室で座って待つ。尋問はたいてい夕方3時か4時まで続いた。尋問の間、私が話すことはほとんどなかった。

――独房の状況について教えてください。

最初の3ヵ月間、私がいたのは建物の最上階の独房だった。鉄枠の窓がひとつだけあり、外側に細かい穴のあいた鉄プレートが被せられていて、自然光は全く入って来ない。私の独房は3番通路。209棟の囚人たちは、私がその通路にいたことを知っていたと思う。通路番号が大きければ大きいほど、そこにある独房はより暗く、息苦しいことも知っていたはずだ。

私はイード(イード・アル・アドハー。犠牲祭。イスラム教の大切な宗教儀式のひとつで、親族や近所の人々が集まる)が終わるまでその3番通路の独房にいたが、そのあと、別の男性囚人が入ることになり、1番通路に移された。

1番通路には私以外の囚人はいなかった。最初の3ヵ月間は最悪だった。食べ物が合わない。飲み水がほしいと頼んでももらえず、見下したような口調で「蛇口から飲め」と言われる。独房を掃除するためのホウキすらない。

1週間に3日、20分ずつ、外気に触れる時間があった。シャワーは週に3回。金曜日は外気に当たるのもシャワーも禁止。私に与えられたものは、何もなかった。