「戦争は夢を砕いた」 五輪出場阻まれるも、前へ ガザ出身アスリート

AI要約

パレスチナ自治区ガザ出身の重量挙げ選手ムハンマド・ハマダさんはパリ五輪の出場を逸し、戦争による苦難を経て再び競技に集中する決意を固めている。

ハマダさんはガザ市の戦闘を逃れ、バーレーンでトレーニングを続けるが、五輪出場の夢は叶わず、家族や友人の安否への不安が競技への集中を阻む。

今後は28年ロサンゼルス五輪へ向けて励むハマダさんは、父の言葉を支えにし、他の選手の活躍やパレスチナの旗がはためく光景を楽しみにしている。

 【カイロ時事】「それはつらい知らせだった」。

 戦闘が続くパレスチナ自治区ガザ出身の重量挙げ選手ムハンマド・ハマダさん(22)は6月、パリ五輪の出場選手リストに自分の名前がないことを知った。2021年の東京大会に続く出場はかなわなかった。「戦争が夢を打ち砕いた」。込み上げた悲しみと怒りを原動力に、前へ進もうと決意を新たにしている。ハマダさんが今月、時事通信の電話取材に答えた。

 昨年10月、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まると、自宅があるガザ北部ガザ市も戦場となった。食料確保に奔走し、飼料で飢えをしのいだ。体重は18キロも落ちた。

 父は「競技をやめればパレスチナを裏切ることになる」と競技継続を後押しした。ハマダさんは3月、ガザを脱出。バーレーンでトレーニングを続けてきた。

 家族をガザに置いていくことにためらいがあった。しかし、五輪は世界にパレスチナの存在を知ってもらう機会であり、イスラエルに「抵抗」する手段だと考え、決意したという。

 ガザからエジプトに抜けるには、退避を「調整」するブローカーに手数料を支払う必要があった。友人たちがコーチである兄とハマダさんの2人分の1万2500ドル(約200万円)を用意してくれた。ガザ市から検問所のある最南部ラファまで「遺体があちこちに転がっている」約40キロの道のりを歩いた。自身も死の危険に直面したと振り返る。

 バーレーンに到着しても調子は戻らず、五輪出場の吉報は届かなかった。ガザを去っても「家族や友人が死んでしまうのではないかという恐怖の中で生きている」といい、停戦が実現しない限り、競技に集中するのは難しそうだ。

 ハマダさんは「五輪に出場できなかったのは、実力がなかったからだ」と受け止め、28年ロサンゼルス五輪という新たな目標を目指してトレーニングに励んでいる。「パレスチナのために勝利を」という父の言葉が支えだ。パリ五輪では、他の選手が活躍し、パレスチナの旗がはためく光景を楽しみにしている。