書評:『又是東瀛梅雨季』

AI要約

『又是東瀛梅雨季』は、著者・朱恵のストーリーテリングの質を称賛する書籍で、平凡な日常の中に色とりどりの物語を見出すことをテーマとしている。

朱恵のフィクション作品は、読者が現実と空想の境界を曖昧にし、物語を通じて自身の経験を共有できるように構築されている。

彼女の作品のポイントは、アクシデントや災難に満ちた人生を通じて真の生きる意味を探求し、それらが個々の持つ豊かな色彩で人生を証明することにある。

書評:『又是東瀛梅雨季』

【東方新報】評者:施銀(Shi Yin)「日本華文作家協会」事務局長、著名な書評家、最近の著作『やまびこめがみ』『万物有霊集』など。

 私が『又是東瀛梅雨季(訳:再び東瀛(日本)の梅雨)』を初めて読んだ時、「心臓が空っぽになり、気が散って心が定まらない」かのような感情に襲われた。そう、人が宇宙の神の視点に立つ時、一つの民族も、一つの国家も、銀河系でさえも、大海の一滴に過ぎず、煙のようにはかなく消えゆくものなのかもしれない。そして「凡そ命あるもの」という普通の人間としての視点から世界を見る時、その平凡な命も、花咲く枝も散る枝も、生きて老いて病で死んでいく細胞も、実はそれらの全てが色とりどりの物語を持っているものなのだ。

 著者・朱恵(Zhu Hui)の書く物語は、こうした平凡な人びとの視点に立つものだ。「平凡ではあるが凡庸ではない。だからこそ私は、自らの平凡さを認めることが人生を楽しむ第一歩だ」、私はこの視点に賛成だ。

 朱恵は優れたストーリーテラーだと言うべきだ。新刊に出て来る校内暴力であれ、漢服を好んで着る少女たちであれ、授業をさぼる学生たちであれ、彼女が語る物語では皆とてもリアルだ。時には20世紀80年代の光景にいざなわれ、また時には、令和/平成の新しい世界に引き戻される。不条理だが荒唐無稽ではない。

 そのため、私は思わず彼女にプライベート・メッセージを送り、これらの話が実は個人のプライバシーを侵害してはいないか、尋ねてしまった。返ってきた返事は「似たような話が現実にあったとしても、私の書いた作品は純粋にフィクションです」という淡々とした軽やかなものだった。

 フィクションで夢や空想を語るのは非常に危険だと言う人がいる。フィクションはひとたびコントロールを失うと、作者の想像力でやりたい放題になってしまうが、同時にそれでは全てが無意味なものになってしまうからだ。しかし、朱恵が読者のために形づくる夢や空想は、空虚で制限のないものではなく、読者がそれを本当のことのように体験できるものなのだ。

 『又是東瀛梅雨季』に対する読者の感想はほとんど同じで「これはアクシデントを語り続ける物語だ」ということであろう。そうなのだ、人生にはアクシデントや災難があふれている。アクシデントや災難が、あなたを悩ませ、自身の運命を受け入れるしかないという無力感を与えるかもしれない。しかしそれらは、あなたの色とりどりの人生の証左であり、あなたが本当に生きているということの証明でもあるのだ。

 そんな優れたストーリーテラーである著者の新刊で、我々は、一人の知性的な女性が大小さまざまな物語をひたむきに語る姿を感じることができる。

 朱恵は私が尊敬する文学の先達であり、80年代に上海師範大学(Shanghai Normal University)中文科を卒業した生真面目な専門家だ。ゆえに、彼女の散文作品にはいつも注目してきた。最近、東京書房出版社から出版されたエッセイ集『又是東瀛梅雨季』を読み終えて、61歳の彼女が還暦を迎える年に、自分自身や友人たちに、貴重な贈り物をしたのだと、深い感銘を受けた。そしてまた、彼女の60歳の誕生日、還暦祝いに私が贈った小詩(短詩)「セカンド人生」を思い出した。

「神さまの人生の質問票に/あなたは鳥の巣のスケッチを描いた/そこには愛の歌声が響き/子どもたちが生まれ/育まれ/春の訪れを喜んで春泥を口にし/邪悪な影を追い払うために戦った/そして子どもたちは成長し/巣立っていった/あなたは言う/描いた鳥の巣は最も満足のいくものだった/ そして今日からあなたは/巣のスケッチに色を添える/もともと/スケッチは下絵に過ぎない/あなたが最終的に描こうとするのは/一幅の色鮮やかな人生絵画なのだ」

 この詩の中で、私は彼女のセカンドライフがカラフルであることを望んだが、彼女のこの新しいエッセイ集からは、そのカラフルさが見えてくる。

 彼女のエッセイ集は大きく二つのパートに分かれている。第1パートは、彼女の人生の前半のキャリアである日本語教室での青春の物語。そして第2のパートは、彼女の近年の旅行や交流の逸話が中心となっている。桜あり、温泉あり、生け花教室あり、著者だけの第二の人生、セカンドライフだ。

 朱恵の散文には彼女独特の味がある。その言葉は趣きにあふれ、おおらかで、智恵が感じられ、俗ではなく、人間世界でさまざま鍛えられながらも、純真無垢な心を失っていないことが分かる。この独特の味わいは、彼女が日常生活の身近な出来事の中で練磨され続けた結果、生まれたものだ。

 平凡な日常は誰にでもある自分自身の生活の川(流れ)であり、その川の流れをたどれば、多くの自然なもの、純粋なもの、独特な味わいを持つものを発見することができる。

 朱恵のこの新刊の創作形式、創作技法、作品構成は、何にもこだわらず、自由自在なものだ。しかし自由自在な彼女の作品に反映される生活の息遣い、生命の質感、上向きの価値観は、どの作品においても全て得難く貴重なものである。(c)東方新報/AFPBB News

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