焚き火、サミット、フリーゾーン。虎屋社長が見たドバイの「活力の源泉」

AI要約

ドバイで開催されたWorld Governments Summitについて、約4000人の参加者の中で日本からの参加者の少なさ、世界のキーマンたちが集まる重要な国際会議であること、雨に見舞われた初日の状況などが述べられている。

黒川光晴がドバイのWGSを訪れて感じたこと、若いリーダーがスピード感を持って意思表示をする環境、UAEのデジタルインフラの進化などについて述べられている。

黒川がドバイに対する印象が変わったキッカケ、日本と中東のつながりや文化的な交流について述べられている。

焚き火、サミット、フリーゾーン。虎屋社長が見たドバイの「活力の源泉」

2月、ドバイで「World Governments Summit」が開催され、約4000人が参加した。その大半が中東、アフリカ圏の人々で、日本からの参加者は10人ほど。世界のハブと言われるドバイの実情を、虎屋18代目社長 黒川光晴はどう見たか。

World Governments Summit(WGS) とは、日本ではなじみのない言葉だが、ドバイ政府が2013年に開始し、今年で11回目を迎えた国際会議だ。関係者曰く「ダボスが西側の声だとすると、それ以外の声を発信する場所で、1年のなかでドバイで最も重要なイベント」であるとされる。

3日にわたるビッグイベントの初日は、雨に見舞われていた。この地で年に10日ほどしか降らないという雨にインフラは弱い。朝にはスマホに警報が通知され、「今日は休校」という声も聞かれた。

会場では、1500人は入りそうなカンファレンスルームに、この日に時価総額でアマゾンを超えたNVIDIAのジェンスン・フアンCEOが登壇していた。ほか、インドのモディ首相、トルコのエルドアン大統領など大国に揺さぶりをかける国際政治のキーマンたち、グローバル企業やNPOの代表、学者などが勢揃いし、大小さまざまな10ほどの部屋で120を超えるセッションが行われた。

■若くてスピード感のある国

黒川光晴は通常、自分が軸足を置く“和菓子”に関するもの以外、こうしたカンファレンスに積極的ではないが、「未来を考えるサミットが中東で行われる」ことに興味をもった。また、日本での認知度が低い催しに対して「日本から誰かを呼べないか」という相談を受け、産官学さまざまに声をかけ、福武英明(福武財団)、西畠清順(そら植物園)、小橋賢児(The Human Miracle)らをアレンジした。

サミット全体のトーンとして、「利益を超えて、サステナブルな未来のために何をしていくべきかに参加者の意識が向いているのを感じた」という。そこは、登壇者の意思表示の場であると同時に、参加者がつながる場でもあり、日本の家族経営を率いる黒川らに“ファミリービジネス”を軸としたラウンドテーブルやディナーもセットされていた。

 

印象的だったセッションとして、WGSの副会長も務めるUAEのAI大臣オマル・スルタン・アルオラマと、オープンAIのサム・アルトマンCEO(ビデオ出演)の対談を挙げる。

27歳で現職に就任したアルオラマは、現在34歳。その若きリーダーが「相当な数の聴衆を前に、他国の天才の意見に賛同し、政治的な宣言をしてしまうというスピード感」に驚いたという。また、各国首脳も集うイベントを30代が担うというところにも、「この国の性格が出ている」と黒川。

「日本では30代の社長は若いと見られがちですが、ドバイではもっと若い人たちが活躍しています。時代の動きに敏感な世代が頭を使ってアイデアを出し、年配の方が金銭面も含めサポートする。そんな構図に見えます」

例えば、UAEでは投票もパスポートの更新もオンラインで完結する。日本でこうしたデジタルインフラへの転換は遅く、情報漏洩やコストなどが批判されがちだが、現地の人は「政府を信頼しているから」と歓迎していたという。上位下達の中央集権型だが、意思決定が一本化されているのは強さでもある。

「急速に開発される街は“はりぼて”にも映りますが、一貫性があるという見方もできます。圧倒的なリーダーシップで決定し、物事を進めています」

■各所に通じる「マジュリス」の精神

黒川が最初にドバイを訪れたのは、日本でもその名が知られ始めた2008年のこと。トランジットで数日の滞在だった。虎屋に就職後には、貿易会社を営む妻の父親の会社で研修するため、サウジアラビアやドバイに数カ月駐在。近年は、「とらやパリ店」への出張の際にドバイを経由することもあったが、「新しくつくられた街より、文化的な街のほうが好き」で、そこまで興味をもってはいなかった。

見方が変わったのは、1年ほど前に現地の同世代とつながったことが大きい。産業が確立する前からその地に住み、ファミリービジネスの傍ら中東文化を世界に発信する人、大きく事業を展開する人たちとドバイや東京で時間を過ごし、「日本人以上に日本の文化に詳しい」彼らにも感銘を受けた。