【文化中国】中国・北京天橋:昔は屋台の演芸場、今は劇場密集地

AI要約

北京市にある天橋芸術中心は、首都で最も若い劇場として知られており、最近は再度英語版の「オペラ座の怪人」を上演している。

天橋地区は16世紀から北京の娯楽の中心地となり、独自の文化が形成されてきた。現在は舞台芸術の中心地として、大小様々な劇場が集まっている。

昔ながらの天橋の歴史文化景観を再現し、観光客に古都の雰囲気を楽しませるスポットとして人気を集めている。

【文化中国】中国・北京天橋:昔は屋台の演芸場、今は劇場密集地

【CNS】北京市で2015年にオープンした「天橋芸術中心(Beijing Tianqiao Performing Arts Center)」は、首都で最も若い劇場として知られている。

 オープン当初は世界4大ミュージカルの一つである「オペラ座の怪人(The Phantom of Opera)」を上演した。それから9年の時を経て、英語原版の「オペラ座の怪人」が再度上演されることになり、北京のオペラファンの注目を集めている。

 現在、英語版の「オペラ座の怪人」が楽しめるのは、世界中で英国ロンドン市のウエストエンドと北京の天橋だけだ。

 天橋地区には北京最大の劇場群があり、北京の演劇ファンが集まる場所となっている。人気のある公演には演劇ファンがわざわざ盛装して、あたかもセレモニーのような雰囲気を醸し出す。ファンたちは休憩時間には劇場のロビーにたむろし、中には即興で劇中のさびの部分を歌ってみるファンもいて、大勢の観客から取り囲まれる光景が見られる。また公演が終わると観客たちは近くのバーで引き続き盛り上がる。

 天橋地区は16世紀に栄え始め、次第に旧北京の娯楽の中心地へと発展していった。「天橋」は明朝の永楽18年、皇帝が天を祭る「天壇(Tiantan)」や農業神を祭る「先農壇(Xiannongtan)」に行くのに使う優雅な白玉石のアーチ橋にちなんで名づけられた。橋の下には二条の水路があり、まるで龍のひげのように見えるので「竜須溝(Longxugou)」と名づけられた。

 明の嘉靖年代に北京の外城が拡張され、天橋は南から都に入る主要な大通りとなった。清朝時代には、漢人や商人が外城に移り住み、天橋の人気はさらに高まり、様々な小さな市場が形成された。中華民国初期(20世紀初頭)、商業的な繁栄に伴い、天橋地区は次第に北京の庶民文化が集まる場所となり、独特の天橋文化が形成された。

 天橋にはかつて数多くの庶民芸術家が屋台を出し、露天演劇、中国の掛け合い漫才・相声(Xiangsheng)、民謡、曲芸などさまざまな民俗芸能が集合していた。北洋軍閥の政権時代には、天橋に「新世界遊芸園(Xinshijie Youyiyuan)」や「城南遊芸園(Chengnan Youyiyuan)」など近代的な娯楽施設が建設された。「北平日報(Beiping Ribao)」の1930年の統計によると、天橋地区には347の商店と劇場、439の露店、数千人の民間芸術家がいたという。

 清朝末期から中華民国初期にかけて活躍した官僚で詩人の易順鼎(Yi Shunding)は「天橋曲(Tianqiao Qu)」という詩作の中で、天橋の賑やかな様子を「酒旗劇鼓天橋市、多少遊人不憶家(酒旗と太鼓の天橋市、街行く人は帰宅を忘れている)」と表現している。

 しかし、中華民国末期、経済の衰退と民衆の生活困窮により、天橋の繁栄は失われた。中国の有名な作家、老舎(Laoshe)はその代表作「竜須溝」の中で、ゴミが散乱し、悪臭が漂う荒廃した天橋の光景を描いている。

 新中国建国後、政府は天橋地区の整備に取り組み、荒れて悪臭を放つ龍首溝を埋め、小劇場と雑技場(曲芸場)を合計7か所新築あるいは修復し、天橋地区は再度復興した。

 現在、天橋地区はかつての北京の娯楽の中心地としての地位を受け継ぎ、さらに現代的な舞台芸術の中核エリアへと発展している。このエリアには、天橋芸術中心、天橋劇場、新国立劇場、北京湖広会館(Beijing Huguang Huiguan)、徳雲社(Deyunshe)、「疆進酒(Jiangjinjiu)ライブハウス」など大小の劇場が集まり、北京で一番の劇場密集地となっている。

 特筆すべきは、北京天橋芸術中心では日本の演劇も数多く上演されていることだ。20年初頭には宝塚歌劇団OGが中国に招聘され、『剣と愛の光芒-ナポレオンを愛した女たち』を上演した。また今年は松竹歌舞伎映像作品『幽玄』『春興鏡獅子』も上映の予定だ。

 天橋の外観は時代の変遷で幾度か変化している。道路や路面電車の建設の都合上、高いアーチ橋から低いアーチ橋、さらに平橋へと姿を変え、1934年には最終的に撤去され、橋は地名にだけ残った。

 その後2013年に「古い天橋の歴史文化景観を残す橋」として、青と白の石造りのアーチ橋が、元の場所から40メートル南の位置に建設された。橋の復刻で、観光客は昔の北京天橋に思いを馳せることができるようになった。

 天橋地区は北京の「中軸線」(建物が東西対称に配置された北京の歴史的な軸線)の南端に位置し、昨今の都市散策の流行で、観光スポットとしても人気を集めている。復元された天橋の位置からは、北に向かって「前門大街(Qianmen Street)」「珠市口教会(Zhushikou Church)」「正陽門箭楼(Zhengyangmen Jianlou)」といった古都の「中軸」上の歴史的建造物が遠望できる。まさに古都の面影を感じさせる場所となっている。(c)CNS/JCM/AFPBB News

※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。