「ウクライナ侵略を考える~『大国』の視線を超えて」著者、加藤直樹氏に聞く(4)共有できる地平とは

AI要約

ウクライナ問題に向き合う際、異なる潮流の人々と共通点を見つけ、共に解決に向けて取り組む必要がある。

日本のリベラル系言論人や左翼系潮流がウクライナ問題に対する認識には歪みがあり、それを超えて展望を持つために批判だけではなく共通点を見つけることが重要。

ウクライナの民主的左翼グループへの支援や連帯を通じて、被害者ではなく主体としてのウクライナ市民を知り、困難な状況にある彼らと共に考えることが大切。

「ウクライナ侵略を考える~『大国』の視線を超えて」著者、加藤直樹氏に聞く(4)共有できる地平とは

日本のリベラル系言論人、平和運動による、占領肯定が前提の「即時停戦論」を超えて、どうウクライナ問題に向き合うべきか。そして、侵略にさらされているウクライナ市民とどうつながっていくのか。『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』を執筆した加藤直樹氏が語る。インタビュー全4回 4/4 (聞き手:玉本英子・アジアプレス)

●著書では、日本のリベラル系言論人や左翼系潮流のウクライナ問題の認識について、「歪み」という言葉がたびたび出てきます。問題の認識への相違はあるにしても、批判だけではその先の展望へとつながりにくい部分もあると思います。ウクライナ問題に関し、様々な潮流の人たちと共通点を見出して、ともにこの問題に向き合うことはどうすれば可能でしょうか?

加藤直樹氏:

私は昨年、友人たちとともに、ウクライナの民主的左翼グループ「社会運動」への寄付を呼びかけました。彼らは領土防衛隊への参加や住民への人道支援を通じて侵略への抵抗に参加するとともに、戦時下でもゼレンスキー政権が進める新自由主義に反対して、労働者の運動を支援しています。彼らは、これからのウクライナをつくる市民社会の一部です。

ウクライナ支援は、様々な立場の人がやっています。医療関係者が救急車を送ったりしていますよね。私たちは、それと同じように、ウクライナの民主的左翼の人びとに寄付を行いました。彼らは私たちのカウンターパートだと思ったからです。日本の運動は、こうした人びととつながり、連帯することだってできると思っています。それよりもっと大事なことは、「被害者」としてのウクライナ民衆だけではなく、「主体」としてのウクライナ民衆を知ろうとすること、想像することだと思います。実際には、大国政治の話ばかりしている。

もう一つ、欧米主要国がウクライナの問題では侵略に反対しながら、パレスチナではイスラエルのジェノサイドを容認するといった露骨な二重基準を見せています。それだけでなく、各国の社会における政治的価値観も、たとえばヨーロッパの極右と極左がウクライナ支援反対で融合したりと、大混乱をきたしているように感じます。

こうしたなかで、単に何かに反発するだけでなく、何が本当に人間性の実現という意味での「進歩」の方向なのかを、よく見定める必要があります。各国、各地域の複雑な現実を受け止め、それぞれの歴史的現実の差異を認め合いながら、それでも普遍的な理念で結ばれた国際連帯をつくれるか否か。そういうテーマが問われていると思っています。ロシアともアメリカとも異なる、私たち自身の理念をつくることです。