# 児童殺傷事件

付属池田小事件から23年 学校の安全、学び継ぐ児童たち
2024.06.09

付属池田小事件から23年 学校の安全、学び継ぐ児童たち

 大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で23年。学校では事件をきっかけに始まった「安全科」の授業がテレビモニターを通じて報道陣に公開された。 6年生の授業では、これまでに学んだ「制服」「学校の安全対策」「遺族の願い」を題材に、印象に残ったことを発表した。

当時を知る唯一の池田小教員「決して事件を風化させない」…娘を失った父は笑顔の写真に誓う
2024.06.09

当時を知る唯一の池田小教員「決して事件を風化させない」…娘を失った父は笑顔の写真に誓う

 児童8人が亡くなり、教師2人を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で23年となった。同小では追悼式典「祈りと誓いの集い」が営まれ、遺族や在校生ら約770人が犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。 事件が起きた午前10時12分に、犠牲と

《大阪教育大附属・池田小児童殺傷事件23年》「“安全の意識”というバトン、手渡す」命、守る側に
2024.06.08

《大阪教育大附属・池田小児童殺傷事件23年》「“安全の意識”というバトン、手渡す」命、守る側に

 大阪教育大学附属・池田小学校(大阪府池田市)で児童8人が死亡、15人が重軽傷を負った事件から22年となった8日、「学校安全の日」として追悼式典が営まれた。池田小学校では事件を教訓に2009年から「安全科」という授業を設け、命を守る教育を続けている。 今年も6年生3学級で「命の大

池田小事件23年、当時担任だった校長は不審者訓練に全力…「対策できていなかった」悔やむ
2024.06.08

池田小事件23年、当時担任だった校長は不審者訓練に全力…「対策できていなかった」悔やむ

 2001年6月に幼い8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小児童殺傷事件は8日、発生から23年となり、同小で追悼式典「祈りと誓いの集い」が営まれた。当時現場にいた教員は子どもたちの命を守れなかった無念さを胸に刻んだ。 「不審者侵入に対する想定や対策ができていなかった」。校内で唯一

「日常に感謝し、事件を風化させず、安全な社会に」 池田小事件から23年 追悼式典で誓い
2024.06.08

「日常に感謝し、事件を風化させず、安全な社会に」 池田小事件から23年 追悼式典で誓い

児童8人が犠牲となった大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から23年となった8日、犠牲者を追悼する式典「祈りと誓いの集い」が同小で営まれた。児童や遺族、教職員らが参加。改めて学校の安全を誓い、事件を風化させない決意を新たにした。式典では、発生時刻の午前10時過ぎ

娘のため「笑顔重ねていきたい」 長女の本郷優希さんを失った父 付属池田小殺傷事件23年
2024.06.08

娘のため「笑顔重ねていきたい」 長女の本郷優希さんを失った父 付属池田小殺傷事件23年

児童8人が刺殺され、教職員を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で23年。長女の本郷優希さん=当時(7)=を失った父、紀宏さん(59)は今年も事件が起きた午前10時過ぎから、23年前の優希さんの足取りをたどった。致命傷を負いながらも教室から逃

「二度と起こしてはならない」大阪市立菅北小でパトロールや訓練 池田小事件23年を前に
2024.06.06

「二度と起こしてはならない」大阪市立菅北小でパトロールや訓練 池田小事件23年を前に

児童8人が死亡、教員を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小(池田市)の児童殺傷事件(8日)から23年となるのを前に、大阪市北区の市立菅北(かんぼく)小学校で6日、大人が走りながら安全を見守る「ランニングパトロール」や不審者対応訓練が行われた。パトロールには防犯ボランティ

池田小事件の遺族 被害者向け『報道取材』に関する手引き作成「取材を受けるかどうかは被害者の自由」
2024.05.28

池田小事件の遺族 被害者向け『報道取材』に関する手引き作成「取材を受けるかどうかは被害者の自由」

23年前、大阪教育大学附属池田小学校で起きた児童殺傷事件の遺族が、取材に関する被害者や遺族の権利をまとめたリーフレットを作成した。 28日、附属池田小学校で行われた警察官と教職員による訓練。刃物を持った不審者をさすまたで制圧する手順などが確認された。事件の教訓を生か

「報道被害」減らし、恩恵増やしたい 池田小事件、両親の転換点
2024.05.28

「報道被害」減らし、恩恵増やしたい 池田小事件、両親の転換点

 大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の遺族、酒井肇さんと智恵さんが犯罪被害者向けに、メディア対応をアドバイスするリーフレット作製に携わったのは、自らが体験した「報道被害」を減らして「恩恵」を増やし、被害者支援の仕組みを充実させたいという強い思いからだ。 2001年6月8日。安全で

「被害者取り巻く環境さらに改善を」 神戸連続児童殺傷27年、土師守さんの手記全文
2024.05.24

「被害者取り巻く環境さらに改善を」 神戸連続児童殺傷27年、土師守さんの手記全文

平成9年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、殺害された土師淳君=当時(11)=の父親、守さん(68)が、産経新聞などの報道各社に寄せた手記の全文は次の通り。私たちの次男の淳が亡くなってから今年で27年という年月が経過しました。子供への思いは、どれほどの時間が経過しても変わる

「納得できる解答を求め続ける」 神戸連続児童殺傷事件から27年、11歳だった淳君を奪われた父親が手記
2024.05.24

「納得できる解答を求め続ける」 神戸連続児童殺傷事件から27年、11歳だった淳君を奪われた父親が手記

平成9年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年の土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されて24日で27年となる。父親の医師、守さん(68)は命日に合わせ、産経新聞などの報道各社に手記を寄せ、「子供への思いは、どれほどの時間が経過しても変わるものではない」とし、すでに社会復帰した当

「犯罪被害者庁」設立を 神戸児童殺傷27年、遺族・土師さんが手記
2024.05.24

「犯罪被害者庁」設立を 神戸児童殺傷27年、遺族・土師さんが手記

 1997年に神戸市須磨区で起きた、連続児童殺傷事件。小学6年だった土師(はせ)淳(じゅん)君(当時11)の命が奪われてから、24日で27年となる。父親の守さん(68)は報道各社に手記を寄せ、犯罪被害者や遺族を取り巻く環境の改善を求めた。 手記の全文は次の通り。 私

「なぜ命を奪われたのか」 解答求め続ける遺族 神戸連続児童殺傷27年
2024.05.24

「なぜ命を奪われたのか」 解答求め続ける遺族 神戸連続児童殺傷27年

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年だった土師淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で27年となった。 父親の守さん(68)が命日を前に取材に応じ、「なぜ命を奪われたのか。納得できる解答を求め続けている」と話した。 加害男性(41)は逮

《神戸連続児童殺傷事件27年》「国が一元的に犯罪被害者支援を」 土師守さん手記【全文掲載】
2024.05.24

《神戸連続児童殺傷事件27年》「国が一元的に犯罪被害者支援を」 土師守さん手記【全文掲載】

 神戸連続児童殺傷事件で、土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害され、5月24日で27年となるのに合わせ、父親の守さんがラジオ関西など報道機関各社に寄せた手記は次の通り(原文のまま)。・・・・・・・・・・・・・ 私たちの次男、淳が亡くなってから今年で27年という年月が

神戸連続児童殺傷27年 土師淳さん父「子供への思い、変わらない」
2024.05.24

神戸連続児童殺傷27年 土師淳さん父「子供への思い、変わらない」

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳さん(当時11歳)が殺害されてから24日で27年になる。父守さん(68)が報道各社に手記を寄せ、「子供への思いは、どれほどの時間が経過しても変わるものではない」と心境をつづった。 加害男性からの手紙

神戸連続児童殺傷27年、問い続ける父 遺族の土師さん「なぜ息子は命を奪われたのか」
2024.05.24

神戸連続児童殺傷27年、問い続ける父 遺族の土師さん「なぜ息子は命を奪われたのか」

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で小学6年の土師淳君=当時(11)=が亡くなってから24日で丸27年となった。父親の守さん(68)が取材に応じ、「なぜ息子は命を奪われたのか」と今も問い続けていると語った。犯罪被害者として訴え続けてきた支援の拡充は、さらなる改善に向けて課題と向

土師淳君の父、加害男性から手紙途絶え「考えていること知りたい」…神戸連続児童殺傷事件から27年
2024.05.24

土師淳君の父、加害男性から手紙途絶え「考えていること知りたい」…神戸連続児童殺傷事件から27年

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害されてから24日で27年になる。命日を前に、淳君の父・守さん(68)が読売新聞の取材に応じ、音信が途絶えている加害男性(41)について、「考えていることを知りたい」と語った。 毎年届いていた

神戸連続児童殺傷27年、問い続ける父 遺族の土師さん「なぜ息子は命を奪われたのか」
2024.05.24

神戸連続児童殺傷27年、問い続ける父 遺族の土師さん「なぜ息子は命を奪われたのか」

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で小学6年の土師淳君=当時(11)=が亡くなってから24日で丸27年となった。父親の守さん(68)が取材に応じ、「なぜ息子は命を奪われたのか」と今も問い続けていると語った。犯罪被害者として訴え続けてきた支援の拡充は、さらなる改善に向けて課題と向

《神戸連続児童殺傷事件27年》「加害者の“償い”…それは私たちが感じること」土師守さんが語る
2024.05.24

《神戸連続児童殺傷事件27年》「加害者の“償い”…それは私たちが感じること」土師守さんが語る

 1997(平成9)年、世間を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」。 被害者の1人、土師淳君(当時11歳)が亡くなり、5月24日で27年を迎えた。 淳君の父親・守さん(68)が、命日を前にラジオ関西の取材に応じ、加害者の男性(2004年に医療少年院を仮退院)について、

神戸児童殺傷27年、父が手記 加害者の答え、求め続ける
2024.05.24

神戸児童殺傷27年、父が手記 加害者の答え、求め続ける

 1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年の土師淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で27年になるのに合わせ、父守さん(68)が手記を公表した。「次男が何故、加害男性に命を奪われなければいけなかったのかという問いについて、私たちが納得するような解答を求め続けている」と心境を