「なぜ命を奪われたのか」 解答求め続ける遺族 神戸連続児童殺傷27年

AI要約

1997年に起きた神戸市須磨区の連続児童殺傷事件で、小学6年の土師淳君が殺害された後、父親が24日前に取材でコメント。加害者は少年時代に医療少年院に収容され、遺族に手紙を送り続けていたが、無断で手記を出版し、守さんは受け取りを拒否。

守さんは加害者の手紙を待ち、解答を望む心境を語る。神戸家裁で事件の全記録が廃棄されたこともあり、加害者の言葉が重要だとし、解答を得るために加害者に行動を促す。

事件は97年に発生し、複数の小学生が襲われ、2人が犠牲になった。

「なぜ命を奪われたのか」 解答求め続ける遺族 神戸連続児童殺傷27年

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年だった土師淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で27年となった。

 父親の守さん(68)が命日を前に取材に応じ、「なぜ命を奪われたのか。納得できる解答を求め続けている」と話した。

 加害男性(41)は逮捕時14歳で、少年審判を経て医療少年院に収容された。審判の傍聴や事件記録の閲覧は、守さんら遺族にも認められなかった。

 男性からは、仮退院した2004年以降、命日の前に手紙が届いた。守さんは手紙を前向きに読み取るよう努めたが、男性が15年、遺族に無断で手記を出版。「今まで書いていたことはうそだった」と思い、翌年から受け取りを拒否した。手紙は18年に途絶えた。

 守さんは「男性が自分自身を見詰め直して書く手紙は、(なぜ命を奪われたかの)一つの解答につながるかもしれない」と考える。拒否した2通の手紙も気持ちが落ち着いてから受け取り、目を通した。今後男性から手紙が届けば、読むつもりだという。

 22年には神戸家裁で事件の全記録の廃棄が判明。「(事件の)状況を知るには彼の言葉しかない」と話し、男性に「解答を得るために必要な行動を起こしてほしい」と求めた。

 事件は97年2~5月に発生。小学生5人が相次いで襲われ、4年生だった山下彩花さん=当時(10)=と淳君が死亡した。