娘のため「笑顔重ねていきたい」 長女の本郷優希さんを失った父 付属池田小殺傷事件23年

AI要約

池田小学校の児童殺傷事件から23年、父は娘を想い、自らの生きる力になる

事件の悲しみから立ち直り、スカイダイビングを経験し、娘の笑顔を感じる

娘や世界中の子供たちに笑顔を届けるため、社会への貢献を心掛ける

児童8人が刺殺され、教職員を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で23年。長女の本郷優希さん=当時(7)=を失った父、紀宏さん(59)は今年も事件が起きた午前10時過ぎから、23年前の優希さんの足取りをたどった。致命傷を負いながらも教室から逃げ、39メートルも歩いた廊下-。そっとひざまずき、「そばにいるよ」と心の中で語りかけた。

くせのないまっすぐな髪、柔らかな頰。優しくて、好奇心旺盛な瞳はまぶしいほど輝いていた。もっとたくさんの美しいものを見て、素晴らしい体験をして、その笑顔はさらに輝くはずだった。

7年と3カ月余りで断たれた命。あまりにも短く、理不尽だった。

「娘に何かあれば、必ず自分が駆けつけて、守ってやれる」。事件前、紀宏さんにはそんな「根拠のない自信」があったが病院に駆けつけたとき、優希さんはすでに息絶えていた。「守ってやれなかった」自分が許せず、生きていく意味が分からなくなった。

笑うことにも罪悪感を抱き、食事をおいしいと感じれば「優希は味わうこともできないのに」と自分を責めた。「優希のそばに行きたい」とまで思いつめた。

だが、自身が犯人への怒りや悲しみといった負の感情に覆われると、悲しむ優希さんを感じた。「優希の気持ちに寄り添い続けよう」との思いが、紀宏さんの生きる力になった。「おはよう」「いい天気だね」と話しかけ、「優希の気持ちに寄り添えているだろうか」と考える。23年間、そんな一日一日を重ねてきた。

今年の春、ずっとやってみたかったことに思い切って挑戦した。20年以上前、仕事でグアムを訪れた際は満員だったためできなかったスカイダイビング。自分一人が楽しむためなら「もういい」と思っていたが、「優希に伝えてやりたい」と一念発起した。

円安で航空券も高騰していたため食事などは節約し、優希さんを思って「空へ」をテーマにした一人旅。小型飛行機から大空へと飛び出して緑豊かな森と紺碧(こんぺき)の海を見下ろしたとき、「見てみたかった、やってみたかった世界」に、瞳を輝かせ、笑顔が弾ける優希さんを感じた。

「笑顔を重ねていきたい」と紀宏さんは静かに話す。優希さん、そして世界中の子供たちにも、笑顔が広がってほしい。そんな社会を築くのは大人の責任だと、強く思っている。

「二度と悲しい事件を起こしてはならない。そのために、ささやかでも自分にできることをやっていきたい」 (木村さやか)