土師淳君の父、加害男性から手紙途絶え「考えていること知りたい」…神戸連続児童殺傷事件から27年

AI要約

神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、土師淳君が殺害されてから27年が経過した。淳君の父は命日を前に、加害男性に対する思いや被害者支援の現状などについて語った。

加害男性からの手紙が最後に届いたのは2017年であり、加害男性が犯した行為に対する納得できる解答を求めている。被害者支援への取り組みや犯罪被害者庁の設立についても言及されている。

事件から27年が経ってもなお、加害男性からの接触が途絶えており、遺族はなぜ淳君が犠牲にならなければならなかったのかについて理解を求め続けている。給付金の拡充など被害者支援への評価も述べられている。

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害されてから24日で27年になる。命日を前に、淳君の父・守さん(68)が読売新聞の取材に応じ、音信が途絶えている加害男性(41)について、「考えていることを知りたい」と語った。

 毎年届いていた加害男性からの手紙は、2017年を最後に届かなくなった。守さんは「なぜ命を奪われたのか、納得できる解答がほしい。手紙を書くことも含め、彼には遺族の思いに応える義務がある」と話した。

 守さんは事件後、犯罪被害者への支援を求める活動に取り組んできた。被害者や遺族に支給される国の給付金が6月にも拡充される見通しとなったことについて、「ひとまずよかった」と評価した。

 一方、被害者支援を一元的に担う「犯罪被害者庁」の設立などは実現しておらず、「まだ道半ばだ。できる範囲で活動を続けていきたい」と語った。

 ◆連続児童殺傷事件=神戸市須磨区で1997年2~5月、児童5人が襲われ、山下彩花さん(当時10歳)と土師淳君が殺害された。当時14歳だった加害男性が殺人容疑などで逮捕され、神戸家裁は医療少年院に送致する保護処分を決定。男性は2005年1月に本退院した。

 守さんは読売新聞などに手記を寄せた。全文は次の通り。

 私たちの次男の淳が亡くなってから今年で27年という年月が経過しました。子供への思いは、どれほどの時間が経過しても変わるものではないと思います。

 加害男性からの接触は、現時点では手紙を含めてありません。私たちは、次男が何故(なぜ)、加害男性に命を奪われなければいけなかったのかという問いについて、私たちが納得するような解答を求め続けています。手紙を書くことも含め、私たち遺族の思いに答える努力をしてほしいと思います。

 兵庫県で犯罪被害者等支援条例が施行されてから1年が経(た)ちました。昨年は総合相談窓口が開設され、本年度からは見舞金の支給制度が開始されました。見舞金支給制度を制定している都道府県はわずかで、兵庫県が見舞金制度を制定したことで、被害者支援がさらに進展するものと思います。