難病発症9年、歯科医諦めたどり着いた円盤投げでパリ切符…支えた夫は照れくさそうに「頑張ったね」

AI要約

鬼谷慶子選手がパラ陸上競技選手権大会で銀メダルを獲得し、夫や家族の支援を受けて競技に挑戦していることが紹介されている。

鬼谷選手は難病により障害を持ちながらも、自己ベストを更新し、健太さんの介助を受けながら競技を行った。

鬼谷選手はパラスポーツに出会い、円盤投げを始めるきっかけとなった経緯が明らかにされている。

 神戸市で開催中の世界パラ陸上競技選手権大会で20日、体幹に異常が生じる難病を患う鬼谷(おにだに)慶子選手(29)(関東パラ陸上競技協会)が女子円盤投げ(F53)で銀メダルを獲得した。競技歴は2年と短いが、「重い障害を持つ自分でもできるスポーツがあると伝えたい」と、夫や家族の支援を受けて挑戦。パリ・パラリンピック代表の座を確実にし、「自分が競技をすることで、誰かの背中を押せたらうれしい」と話した。(松本慎平)

 この日、電動車いすで登場した鬼谷選手は、夫の健太さん(30)に抱きかかえられて投てき台へ。ベルトで体を固定してもらい、2投目で自己ベストを3メートル余り超える14メートル49をマークした。

 練習でも大会でも常に健太さんの介助を受けてきた鬼谷選手は競技後、「そばにいてくれて心強かった。座位の投てきは誰かの協力があってこそで、感謝しかありません」と語り、健太さんは「頑張ったね」と照れくさそうに祝福した。

 高知市出身の鬼谷選手は、中学から陸上の投てき競技に取り組み、高校ではハンマー投げで国体に出場。東京歯科大で歯科医を目指しながら競技も続けたが、20歳だった2015年6月、突然左手足に力が入らなくなった。歩くのにつえが必要で、一時休学した。

 18年に悪化し、脳幹部に炎症が起きる難病だと判明した。普通のいすに座ることができなくなり、再び休学。翌年、実家に戻って車いすで生活した。歯科医を諦めて簿記の勉強もしたが答えが出ず悩んだ。

 転機はパラスポーツとの出会いだった。リハビリ先の勧めでボッチャを体験し、両親の送迎でパラアーチェリーに挑戦。高知市出身で東京パラ車いすラグビー銅の池透暢(ゆきのぶ)選手(43)に「どんどん外に出て体を動かしたらいい」と励まされた。

 「池選手のようになりたい」。重い障害でもできる競技を探して行き着いたのが、高校時代に経験していた円盤投げだった。専用投てき台を使えば、重さ1キロの円盤を投げることができると知り、22年夏、円盤投げで初めて大会に出た。