「自分さえ信じていれば大概のことは叶う」ヤクルト青木宣親引退決断 あきらめない男の21年の歩み

AI要約

青木宣親が21年間の現役生活にピリオドを打つことを表明。

青木の順風満帆ながらも大変なキャリアを振り返る。

メジャー挑戦や日米通算2000安打達成、WBCなどの活躍を経て、東京ヤクルトスワローズに復帰。

「自分さえ信じていれば大概のことは叶う」ヤクルト青木宣親引退決断 あきらめない男の21年の歩み

青木:

本当に幸せな野球人生だったように思います。いやもう100点満点です。

そう口にしたのは東京ヤクルトスワローズの青木宣親(42)。

9月13日、2024年シーズンをもって21年間の現役生活にピリオドを打つことを表明した。

自身で「100点満点」と評したプロ野球人生。その21年の歩みを振り返る。

青木:

自分のこのキャリアを見たらものすごく順風満帆に見えるかもしれないですけど、その中にはものすごく大変な思いをしてきたので。

そう記者会見で語った青木は、甲子園とは無縁の高校球児だった。

名門・早稲田大学へは学力で進学した。すると、徐々に頭角を現していき、3年時の秋季リーグでは39打数17安打、打率.436をマークし首位打者に輝いた。

翌2003年秋のドラフトでヤクルトから4位指名。晴れてプロ野球選手の一歩を踏み出した。

1年目こそ2軍中心の生活となったが、2年目のシーズン、その才能はプロの世界でも見事に花開く。

右へ左へ、広角に打ち分けるバッティング技術で放ったヒットは202本。

日本のプロ野球では、1994年にイチローさんが記録して以来のシーズン200安打を達成し、首位打者、そして新人王の称号を得た。

その後もコンスタントに成績を残し、2010年シーズンは209安打をマーク。2度目のシーズン200安打達成は今でもプロ野球史上ただ一人の快挙である。

翌年のオフ、日本球界での輝かしい成績を引き下げ、海を渡る決断をした青木。

しかし、待っていたのは……

青木:

想定外のことがすごく起きるんじゃないかなと思ったんですよね。それがしょっぱなに来たんで戸惑いは少しありました。

当時30歳の青木は、フジテレビの取材に心境を語った。

メジャーへの挑戦が始まった2012年、移籍先のブルワーズは入団前、青木にトライアウトを要求。

日本で3度も首位打者となった実績がありながら、球団幹部の前でプレーチェックを強いられることとなった。

そんな予期せぬ状況の中でも、青木の核には信念があった。

青木:

いつもそうなんですけど、やっぱりあきらめなかったことですね。人が無理だとかそんなことを言っていても、自分さえ信じていれば大概のことは叶うというふうに思っているので。

自分を信じぬく。強い気持ちが青木を奮い立たせる。

ブルワーズでの1年目、シーズン途中でレギュラーの座を奪取すると、打率.288、10本塁打、50打点という堂々の数字を残してみせた。

青木:

何か自分の可能性みたいなものを感じました。とにかく自分の限界に挑戦したいと思います。

1年目を終え、感じた確かな手ごたえをカメラに語った青木。

メジャーではその後6球団を渡り歩き、2014年にはロイヤルズでワールドシリーズに出場。2017年には、史上7人目となる日米通算2000安打を達成した。

またWBCにも3度出場し、2度の世界一に貢献。日本代表としてもその力をいかんなく発揮した。

メジャーでの挑戦を終えた青木は2018年、古巣の東京ヤクルトスワローズに復帰を果たす。