【菊地敏幸連載#39】「一場靖弘を獲得に動くなら天誅を」久万オーナー宅に告発文が

AI要約

2004年のドラフトは激動の年であり、巨人や横浜、阪神の現金供与問題が表面化した。

阪神は自由枠で岡崎太一捕手と能見篤史投手を獲得したが、一場靖弘投手獲得をめぐり混乱が起こった。

阪神も一場獲得を目指したが最終的に断念し、オーナー宅に脅迫文が届くなど大混乱が続いた。

【菊地敏幸連載#39】「一場靖弘を獲得に動くなら天誅を」久万オーナー宅に告発文が

 【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(39)】2004年ドラフトは激動の連続でした。新聞やネットに残る活字情報では阪神は自由枠で岡崎太一捕手(松下電器)、能見篤史投手(大阪ガス)を指名し、社会人出身の即戦力バッテリーを獲得したという事実だけを振り返ることができます。ですが、それは表のお話です。

 この年は8月に巨人が明大・一場靖弘投手の獲得を巡り現金供与があったことを発表。球団幹部や渡辺オーナーまでが球団の仕事を離れるというセンセーショナルなニュースが世間を騒がせました。

 NPB、学生野球連盟は事を荒立てず、穏便に処理する動きや発言に終始していました。フェードアウトの形での問題収束を図ったのでしょうが、思い通りにはいきませんでした。10月に入ると一部報道によって横浜ベイスターズ、阪神タイガースの2球団も一場獲得を巡って現金供与を行っていた事実が明かされました。

 自由枠の有力候補だった一場に関しては阪神も調査を進めていました。当時の阪神には03年に18年ぶりのリーグ優勝を置き土産に、球団シニアディレクターに就任していた星野仙一さんの存在がありました。星野さんは明大OBです。当然、巨人や横浜と競合しようが獲得を目指すよう号令が出されました。

 6月ごろには一場が巨人を逆指名するという情報が飛び交いました。これが事実ならドラフト上位指名候補選手の選定を練り直す必要が出てきます。前年の03年には自由枠候補として調査していた野間口貴彦投手を巨人に取られています。2年続けて巨人に後れを取るわけにはいきませんから、久万オーナーも当時の野崎球団社長にハッパをかけます。

 野間口は兵庫県尼崎市出身で大阪・関西創価高から創価大、シダックスという経歴を持ちます。いわば地元の選手でした。ただ、この当時、巨人に資金力で対抗するというのは至難の業でした。同じ03年でいえば巨人は阪神に早大・鳥谷を取られているわけですから、向こうだって本腰を入れてきます。

 時系列が前後しますが、8月13日に巨人が一場への裏金提供を認めて獲得断念。となれば他球団にとってはチャンス再来です。阪神も星野SDらを立てて再度、一場獲得へ動きます。それでも、9月の時点で一場は横浜入りを表明。結局、阪神は10月前半時点で獲得を再度、断念するしかありませんでした。

 ただ、これだけでは終わりませんでした。当時の事件を検証する新聞や書籍も存在するので、そこにも書かれている情報を参考にすれば当時の混乱ぶりが分かります。一場獲得断念の方針を決めた直後の10月12日、阪神・久万オーナーの自宅に「告発文」が届きました。巨人に続き横浜、阪神も一場に現金を供与している。そのまま一場を獲得に動くのであれば天誅を…という内容でした。

 球団オーナーが、現場のスカウト陣がどんな活動をし、どんな経費を使用しているかなど、細かい情報を詳細に把握していることはまずあり得ません。それなりの組織を持つ会社にお勤めであれば、そのあたりの想像はつく話でしょう。

 当時の野崎球団社長とて、他球団に負けないスカウト活動を行うようにスカウト陣にはハッパをかけていた立場です。それでも活動内容の詳細まで熟知していたかといえばどうかと思います。こうなると、それぞれの立場で大混乱が発生していくことになります。