【パラリンピック】小田凱人 満員の観客、急きょ決まった中継…18歳が自らの力でつくった金メダル舞台

AI要約

小田凱人が車いすテニス男子シングルスで金メダルを獲得し、生涯ゴールデンスラムへの道を歩み始めた。

パリパラリンピックでの凱成の舞台裏や過去の困難を越えた歴史を振り返る。

凱人は将来車いすテニスをさらに普及させ、社会にインパクトを与えることを目指している。

【パラリンピック】小田凱人 満員の観客、急きょ決まった中継…18歳が自らの力でつくった金メダル舞台

 ◇パリ・パラリンピック第11日 車いすテニス(2024年9月7日 ローランギャロス)

 車いすテニス男子シングルス決勝で世界ランキング2位の小田凱人(18=東海理化)が世界1位のアルフィー・ヒューエット(26=英国)に6―2、4―6、7―5で勝利して金メダルを獲得した。三木拓也(35=トヨタ自動車)とのペアで銀メダルを獲得したダブルスに続く今大会2度目の表彰台。キャリアで五輪かパラと全4大大会を制する生涯ゴールデンスラムへ、残すは全米のみとなった。

 会場は2連覇中の全仏と同じローランギャロス。相性抜群の舞台で過去7勝8敗だった宿敵ヒューエットを破った。

 パリは名前の由来となった凱旋門がある。今大会の金メダルを「運命」と捉えてきたが、初のパラリンピックは想像と違った。4大大会よりも報道陣が少なく、準々決勝まではテレビ中継もなし。SNSで放送を熱望し「これが車いすテニスの現状。僕はそれを変えに来ている」と魅せるプレーにもこだわった。準決勝とダブルス決勝は急きょ放送が決定。決勝は満員の観衆で埋まり、自らの力で理想の舞台をつくった。

 9歳の時に左股関節に骨肉腫が見つかり、サッカーを断念。車いすテニス転向後も2度のがんの肺移転を乗り越えた。完全寛解の見通しは30年4月。不安がつきまとう中、22年4月のプロ転向後は驚異的なスピードで成長し、結果を出してきた。競技をメジャーにして、障害がない人も車いすテニスを楽しむ時代を築くことを目標に掲げ「車いすをスケボーみたいな乗り物にしたい」と言う。パラ界きっての千両役者の戦いは続く。