「作中の比ではない弱小校」学習院大から学連選抜へ…池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』を読んだ川内優輝の回想「予選会出場で胴上げしました」

AI要約

学連選抜で初めて箱根駅伝に出場した川内優輝。大学の応援団の熱いサポートに感動し、自身のランニングに力をもらう。

2回目の出場では100人以上の応援団が芦ノ湖まで駆けつけ、寮に泊まって応援。大学からのサポートに感謝し、背中を押される。

函嶺洞門で「夢をありがとう 川内優輝」という横断幕を見つけ、涙する。大学全体が初めての箱根路出走を誇りに思い、彼を支えていることに感激。

「作中の比ではない弱小校」学習院大から学連選抜へ…池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』を読んだ川内優輝の回想「予選会出場で胴上げしました」

 プロランナー・川内優輝。学習院大学在学中、同校の歴史上はじめて箱根路を走り、その名を轟かせた。卒業後は、埼玉県庁で職員として働く傍ら市民ランナーとして様々なマラソン大会で優勝するなど、それまでのマラソン界の型を破るような活躍を見せている。

 2019年4月からはあいおいニッセイ同和損害保険と所属契約を結び、プロランナーに転向した川内さん。学連選抜を経験し、いまもプロとして活躍する彼は、『俺たちの箱根駅伝』をいかに読み、自身の経験を語るのか――。<全2回の前編/後編はこちら>

――学習院大学2年生だった2007年、83回大会にはじめて学連選抜として箱根駅伝に出場されました。それが学習院大学初の箱根路出走だったんですね。

川内 そうですね。大学の皆さんはもちろん、予選会翌日から様々な人が注目してくださって、箱根駅伝の影響力の大きさをひしひしと感じました。

 一番衝撃だったのは、復路当日、早朝なのにもかかわらず、箱根・芦ノ湖からスタートする6区の3地点くらいに大学の応援団が来てくださっていたことです。初めての出場で手順が分かっていなかったので、特に連絡を取ったわけではないのですが、走っていたら応援団が見えて感激しました。

 その経験から、2度目の出場となった2009年の85回大会では、出場が濃厚になった段階で、正式に大学へ応援を依頼しました。そうしたら、応援団とチアリーディング部、吹奏楽部の方々が100人以上芦ノ湖のスタート地点まで来てくださって。復路は8時にスタートするのですが、都内から来ていては間に合わないと、応援団同士のつながりがあった大学にお願いして、神奈川県内の寮にその100人が泊っていたそうなんです。僕が当日の早朝に現地で歩いていたら、すでに応援団の方々がいらしていて驚きました。聞くと、朝3時半に寮を出発したのだとか。学連選抜で出場する一人のために、ここまでしてくださるのかと感動しました。

 最初の出場のときにも、陸上部OBがカンパでのぼり旗を100本作ってくれましたが、さらに2回目のときは大学側が追加で100本と、カンパで大きな横断幕を2つ用意してくださって。それを持って、学生部や学生部長、学長まで沿道に来て応援してくれました。

 当日、6区のコースだった函嶺洞門を抜けたところにある崖に、「夢をありがとう 川内優輝」と書いてある横断幕を見つけたときには、涙が出るくらい嬉しかったです。最後までもうひと踏ん張りするための元気をもらいましたし、大学全体が、初めて箱根路を走ったということをこんなに誇りに思ってくれているんだということがありがたかったですね。