1人だけ拒否されたハイタッチ 名伯楽が困り果てた助っ人との“不仲”「今も不思議」

AI要約

DeNA・三浦大輔監督の“降板指令”にローワン・ウイック投手が“拒否”の姿勢を示し、指揮官が怒りを露わにしたシーンが話題に。

新井宏昌氏が外国人選手との経験を振り返り、ダイエー時代のバルデス氏との行き違いやニール氏との成功エピソードを語る。

才能のある選手がいても、指導力だけでは足りず、綿密なコミュニケーションが成功につながることを示唆。

1人だけ拒否されたハイタッチ 名伯楽が困り果てた助っ人との“不仲”「今も不思議」

 DeNA・三浦大輔監督の“降板指令”にローワン・ウイック投手が“拒否”の姿勢を示し、指揮官が珍しく怒りを露わにしたシーンが話題になった。今回に限らず、言葉の壁などの影響で、監督・コーチと外国人選手の間で行き違いや誤解を生じることは時にある。現役時代に通算2038安打を放ち、指導者としてもオリックス1軍打撃コーチ時代にイチロー氏のブレークに携わるなど名伯楽として鳴らした野球評論家・新井宏昌氏に、自身の経験を振り返ってもらった。

 現役引退後、オリックス、ダイエー・ソフトバンク、広島で打撃コーチなどを歴任した新井氏だが、「あれほど苦労したのはただ1人でした」と振り返る選手がいる。2001年から2004年までダイエー(現ソフトバンク)でプレーし、2003年にシーズン104打点をマークするなど左打ちのスラッガーとして活躍したペドロ・バルデス氏だ。

 2003年に当時の王貞治監督(現ソフトバンク球団会長兼特別チームアドバイザー)に請われダイエーの1軍打撃コーチに就任した新井氏は、同年にバルデス、松中信彦、城島健司、井口資仁の4人が100打点以上をマークする強力打線をつくり上げ、日本一に貢献。しかし、新井氏より2年早くダイエーに入団していたバルデス氏は、なぜか新井氏を“毛嫌い”していたという。

「彼はフリー打撃で、真ん中の球以外には手を出さない。ストライクゾーン内であっても、内外角両コーナーの球は見送り、打って手がしびれたりすると、規定のスイング数の途中で止めてしまうことがありました。こちらが気を遣って、彼に打撃投手を選ばせて専属にしても、同じことが起こる。本当に困りました」と頭を抱えていた。バルデスは「新井コーチが打撃投手に指示して、自分が打ちにくい球を投げさせている」とありえないことまで口にしたという。

 決定的だったのは、バルデスが本塁打を放って自軍ベンチに還ってきた時。「みんなで一列に並んで迎えたところ、彼は一番前にいた王監督とハイタッチを交わした後、2番目の私の時に手を引っ込め、3番目からまたハイタッチを交わしていきました。どうしてあんなことをされたのか、今思い返しても不思議です」と新井氏は首をひねる。不可解な“ハイタッチ拒否事件”だった。

 バルデスとの思い出が、外国人選手との付き合いで“ワースト”だったとすれば、“ベスト”はオリックス1軍打撃コーチ時代、チームの主砲として活躍したトロイ・ニールだ。来日1年目の1995年にいまひとつパッとしなかったニールを、新井氏は「彼はメジャーリーグの先輩で当時ロッテでプレーしていたフリオ・フランコ氏のバットをもらって打っていたのですが、長さが35インチ(約89センチ)もあって重心がヘッドにあるバットは彼に合っていなかった」と語る。

「2年目の1996年、彼と話し合い、前年限りで現役引退された岡田彰布さん(現阪神監督)のバットが球場に残されていたので、それを試してもらったところ、ズバリ当たりました」と唇を綻ばせる。ニール氏は同年、32本塁打、111打点で2冠王に輝き、チームの日本一に貢献した。

 才能のある選手がいて、指導力のあるコーチがいても、それだけでは足りない。綿密なコミュニケーションが取れてこそ好成績につながる一例といえるかもしれない。