甲子園で母校観戦の日本ハム・新庄剛志監督 京セラに到着後、残念そうに「散った」つぶやく 高校同期が西日本短大付の監督

AI要約

日本ハムの新庄剛志監督が母校の試合に駆けつけ、後輩のプレーに熱い視線を送る。

新庄監督は甲子園でプレーした経験があり、母校の甲子園出場を見届けることはできなかったが、懐かしい思い出を振り返った。

新庄監督は3年ぶりに母校チームの試合を観戦し、後輩たちの奮闘を目に焼き付けた。

甲子園で母校観戦の日本ハム・新庄剛志監督 京セラに到着後、残念そうに「散った」つぶやく 高校同期が西日本短大付の監督

◇17日 第106回全国高校野球選手権大会・3回戦 西日本短大付0―4京都国際(甲子園)

 日本ハムの新庄剛志監督(52)が母校の応援に駆けつけた。指揮を執るオリックス戦(京セラドーム大阪)が午後2時開始のデーゲームとあって、それまでの時間を利用して、ネット裏の最上階ロイヤルスイートから後輩のプレーに熱い視線を送った。

 母校を率いているのは同校で同期生の西村慎太郎監督だ。2回に2点を先取されたあと、斉藤大将右翼手(2年)がまるで新庄監督の現役時代をほうふつとさせるような好返球で二塁走者の本塁突入を阻止すると、笑顔で拍手を送った。

 阪神時代に11年間プレーした甲子園。試合終了まで見届けることはできず、3点をリードされていた7回あたりで甲子園を去り、午後1時前に京セラドーム大阪入り。取材を受けている伊藤の横を通り過ぎる際に「散った」と残念そうにつぶやいた。

 新庄監督は西日本短大付時代、甲子園出場を果たせなかった。1989年夏の福岡大会で先輩の石貫宏臣投手(元広島、ロッテ投手)を擁して甲子園出場して以来の決勝進出。相手は福岡大大濠で、4―6と惜敗した。「1番・中堅手」の新庄は5打数4安打(左前安打、左翼越え本塁打、中越え三塁打、中堅フェンス直撃の二塁打)とサイクル安打を記録したが、逆転には至らなかった。

 恩師の浜崎満重監督はその翌年、西日本短大付を甲子園に導き、新庄が阪神で台頭した1992年には夏の全国制覇を果たしている。

 新庄監督は、3年ぶり7度目の出場で金足農(秋田)と菰野(三重)に勝った後輩たちの奮闘を目に焼き付けた。