1年夏の甲子園で逆転サヨナラ弾、最後の夏に敗れた後は1週間ほど外に出られず…… 國學院大・緒方漣が過ごした横浜高校での3年間

AI要約

緒方漣は高校時代に甲子園で活躍し、1年生の夏に逆転サヨナラ3ランを放つ快挙を達成した。

2年連続で甲子園に出場した緒方は、3年夏の大会ではチームを引っ張ったものの準々決勝で悔しい結果に終わった。

横浜高校は大会参加を通じて成長し、フィジカルの差やプレッシャーとの戦いを経験していった。

1年夏の甲子園で逆転サヨナラ弾、最後の夏に敗れた後は1週間ほど外に出られず…… 國學院大・緒方漣が過ごした横浜高校での3年間

國學院大學の緒方漣(1年、横浜)は高校1年の春に名門校でショートのレギュラーの座をつかんだ。同年夏の甲子園、広島新庄との1回戦では九回裏に逆転サヨナラ3ランを放った。翌年の夏も2年連続で甲子園に出場。主将としてチームを引っ張った最後の夏は、神奈川大会決勝で涙をのんだ。甲子園の歴史に名を刻んだ1年夏の逆転弾、そして悔しい結果に終わった3年夏について語ってもらった。

「もしかして夢なんじゃないだろうか?」

整列し、試合終了のあいさつを終えた後、緒方は自分のおでこにデコピンをしてみた。痛かった。憧れの甲子園球場でレフトスタンドに打ち込んだ逆転サヨナラホームランは、まぎれもなく現実だった。

広島新庄との1回戦、2点を追う九回裏2死一、三塁。「雑念が全くなく、純粋な気持ちで打席に入れました」と緒方は振り返る。トップアスリートがよく口にする「ゾーン」に入っていたのだろう。1ボールからの2球目、真ん中あたりの甘いコースにきた129キロを振り抜いた。

「打った瞬間『いったな』と思いました。一塁を蹴ったところまでは覚えているんですけど、『うわぁ、サヨナラか』みたいに思って、そこからはもう記憶がないです」。ダイヤモンドを1周し、チームメートに笑顔で迎えられた。1年生によるサヨナラ本塁打は、大会史上初の快挙だった。

智弁学園(奈良)との2回戦でも緒方は2安打を放ったが、チームは0-5で敗れた。その秋のドラフトで阪神タイガースに進んだ前川右京らを擁し、最終的に準優勝だった智弁学園には、投打に力の差を見せつけられ、完敗だったと悔しがる。

「圧倒的なフィジカルの差を見せつけられました。そこからは自分たちも食事の量を増やすなどして、体をまず変えていくことを目指しました」

横浜は翌年の神奈川大会も制し、2年連続で夏の甲子園出場を決めた。1年生のときは怖いものなしで思い切ってプレーできていたが、2年生になると、周囲から大きな期待を感じるようになり、それがプレッシャーにもなっていたという。

「横浜高校は勝って当たり前、みたいな重圧をだんだん感じるようになって。その中での甲子園だったので、喜びとホッとした気持ちとの両方がありました」

2回戦で敗れた前年以上を目指して、甲子園に乗り込んだ。初戦は三重に4-2で快勝。横浜にとっては春夏を通じて甲子園通算60勝目となった。しかし、2回戦で聖光学院(福島)に2-3と競り負け、前年と同じ2回戦敗退に終わってしまった。