バレー山内晶大、代表引退を示唆「Last Danceだから出し切れました」“帰宅部”のハズが…顧問の誘いで高校時代から競技始めた変わり種【パリオリンピック】

AI要約

パリ五輪バレーボール男子日本代表の山内晶大がインスタグラムでパリ五輪敗退を振り返り、代表引退をほのめかした。

山内はパリ五輪を集大成と位置付け、10年間の代表生活に感謝のコメントを残した。

名古屋市出身の山内はミドルブロッカーとして長身を生かし、日本代表で活躍。日の丸を背負い続けた彼の軌跡。

バレー山内晶大、代表引退を示唆「Last Danceだから出し切れました」“帰宅部”のハズが…顧問の誘いで高校時代から競技始めた変わり種【パリオリンピック】

 パリ五輪バレーボール男子日本代表の山内晶大(30)=大阪ブルテオン=が7日、自身のインスタグラムを更新。準々決勝で敗退したパリ五輪を振り返り、「Last Danceだから出し切れました。2014年からの10年間の代表生活長かったー」などとコメントし、代表引退をほのめかした。

 パリ五輪を集大成と位置付けていた山内は「Paris Olympics 本当にたくさんの応援ありがとうございました。結果は目標としていたものにはならなかったですしとても悔しい結果ですが、Last Danceだから出し切れましたしみんなで戦ったオリンピックはとても誇りに思います」と回顧。「楽しい時も苦しい時もこのチームで色々経験しましたが貴重で幸せな時間でした。日本からの応援も現地での応援もありがとうございました!2014年からの10年間の代表生活長かったー」とつづった。

 名古屋市出身の山内はミドルブロッカーとして東京、パリの両五輪に連続出場。サーブや204センチの長身を生かしたブロックで日本を支えた。愛知・名古屋市立工芸高入学後にバレーボール部の顧問から誘われて、競技を始めた変わり種。無名校だったが、「成長している喜びで続けられた」と、スポンジのように指導を吸収し、5年後には日本代表にまで急激に進化した。

 高校は“帰宅部”のつもりだったが、顧問の誘いで一歩を踏み出し、日の丸を付けるまでになった。「新しいことに挑戦することは、いつ始めても遅くない。思った時が一番早い。自分の経験を通して伝えていきたい」。「花の都」でしっかりと、その雄姿を刻んだ。