甲子園開場100年 阪神の将来を担う前川右京、記念日に4打点

AI要約

前川右京が記念の一戦で3本の適時打を放ち、計4打点を挙げる活躍を見せた。甲子園球場はファンの歓声に包まれた。

昔の名将や名グラウンドキーパーに感謝の意を示し、球場の美しさと伝統を称えた。前川は高校からの苦労を経て、主力選手として活躍している。

苦労しながらも自らの成長に努力を重ね、野球の聖地で自己の価値を高めようとする若き主砲候補の姿が描かれた。

甲子園開場100年 阪神の将来を担う前川右京、記念日に4打点

 ◇○阪神9―2巨人●(1日・甲子園)

 1924年8月1日に甲子園大運動場(当時)が開場してから100年を迎えた2024年8月1日。阪神の将来を担う21歳の前川右京が記念の一戦で3本の適時打を放ち、計4打点をたたき出した。走者を還す度、阪神甲子園球場はファンの大歓声に包まれた。

 一回2死満塁。3球目、得意の外寄りに来たフォークを引っ張った。「真っすぐのタイミングでうまく拾えた」。打球は先達から受け継がれた土のグラウンドを転がり、右前へ。2人が生還した。試合後、岡田彰布監督は「やっぱり先制でしょうね」とたたえた。

 85年の日本一の時の監督だった吉田義男さん(91)は試合前に行われた記念式典に出席した後、「(名グラウンドキーパーの)藤本治一郎さん(故人)には、絶えず鏡のごとしと内野の整地をしていただいて、野球選手を育ててくださった」と感謝の言葉を口にした。その美しい球場で、前川は五回と六回にも適時打を放って躍動した。

 前川は奈良・智弁学園高時代に、夏の甲子園で準優勝を経験した。2年目の昨季はけががあって33試合出場にとどまったが、今季は卓越した打撃で主力に定着した。

 シーズンを通して1軍で戦うのは初めて。6月には打撃不調で他の選手のバットを借りて練習したり、「バテてきたから(バットの)重いの振れないです」と弱音を吐いたりするなど、紆余(うよ)曲折を経ながらも必死に戦ってきた。

 阪神甲子園球場は春、夏の高校野球の会場や阪神の本拠地として、歴史を刻み、価値を高めてきた。今は自らのバットを信じて振る若き主砲候補は「手応えはあるが、一日一日これからもちゃんと積み重ねて、最後いい成績を残せるように。まずはそこ」と、野球の聖地で自らの価値を高めようとしている。【荻野公一】