花咲徳栄が5年ぶりに夏甲子園 岩井隆監督が「埼玉みんなの監督」とする師の思いも背負い/埼玉

AI要約

花咲徳栄が昌平を破り、夏の甲子園出場を決めた。

岩井監督は20年ぶりの優勝とグランドスラム達成を喜び、本多監督に感謝を示す。

埼玉の高校野球界には若手指導者も台頭し、競争が激化している。

花咲徳栄が5年ぶりに夏甲子園 岩井隆監督が「埼玉みんなの監督」とする師の思いも背負い/埼玉

<高校野球埼玉大会:花咲徳栄11-9昌平>◇28日◇決勝◇大宮公園

 花咲徳栄・岩井隆監督(54)は決勝開始の1時間前、カメラマン席にいた。外野を眺める。赤とんぼが驚くほど多く舞っていた。

 「何を間違っちゃってるんだろう?」

 まだ夏だし、気温は40度近く。「とんぼが多いと、蚊も多いんですよ」。埼玉の夏を戦い二十数年、もうベテラン監督の域にいる。

 チームは決勝で昌平との打撃戦を制し、5年ぶり9度目の夏の甲子園出場を決めた。

 スタンドへのあいさつを終えると、岩井監督はその場で選手たちを集めた。「いろいろ大変だったけど、良かったな。おめでとう」。しばらくしてもまだ泣いている生田目奏主将(3年)に「おまえ、いつまで泣いてんだよ!」とちゃちゃを入れながら、指揮官も左手で目元をこすり、はなをすすった。

 秋、春、夏、県内の全ての公式戦で優勝する「グランドスラム」を達成した。県内では33年ぶり4校目になる。

 「本多さんに並ぶためにはグランドスラムをやりたいと思っていたので、それが達成できて本当に良かったです」

 春日部共栄・本多利治監督(66)が今年3月末、24年度限りでの勇退を発表し、今大会は“最後の夏”になっていた。

 かつては「当たれば楽勝」と言われていた東部地区を大きく活性化させたのが、高知県出身の本多監督だった。岩井監督は「本多さんは、埼玉みんなの監督です」といつも口にする。優勝を決めて、この日もあらためて。

 「本多さんが埼玉の高校野球の監督だと思っているので。私の師匠は稲垣さん(故・稲垣仁司前監督)ですけれど、埼玉の高校野球の師匠は本多さんだと思っているので」

 競い合い高め合い、埼玉に初めて夏の優勝旗を持ち帰ったのは、17年の岩井監督だった。15~19年と夏の5連覇を果たし、プロ野球選手も8年連続で輩出した。ただコロナ禍の20年以降、甲子園が遠かった。

 「全然ダメで行けなかったわけではないので。いいところまで行って負けてたので。ただ、埼玉も若い指導者がいっぱい出てきてね…」

 岩井監督、本多監督、浦和学院・森士監督、聖望学園・岡本幹成監督の「四天王」が埼玉球界の中心にずっといた。近年、昌平・岩崎優一監督に、山村学園・岡野泰崇監督ら、甲子園にチームを近づける指導者がどんどん台頭している。

 「私が監督になった時には本多さんがいて、森さんがいて、岡本さんがいて、須長(三郎)さんがいて、それがもう僕だけになっちゃうので。もう少し頑張んなきゃいけないなと思って、この1年は本気でやってました」

 本多監督、最後の夏。熱い議論を交わしながら、その背中をずっと追いかけてきた。心の奥底に「恩返し」の思いも込め、久しぶりに西へ行く。【金子真仁】