巨人・名投手の母校や“激戦区”の上位常連も…甲子園に「出られそうで出られない高校」

AI要約

生光学園が甲子園出場を目指して長年悲願を果たせずにいる過程を振り返る。

多くの機会で準決勝や決勝で敗れ、甲子園出場を逃してきた生光学園の歴史。

数々の名将やプロ注目選手を輩出しながらも、なかなか壁を乗り越えられない生光学園の挑戦。

巨人・名投手の母校や“激戦区”の上位常連も…甲子園に「出られそうで出られない高校」

 夏の甲子園出場をかけた地方大会もいよいよ大詰め。すでに初出場校を含む代表校が決定した地区もある。その一方で、これまで何度も準決勝、決勝まで勝ち進みながら、あと一歩のところで切符を逃しつづけている“悲願校”も存在する。

 県大会決勝で敗れること4回、準決勝敗退も10回と、甲子園に出られそうで出られない高校の代表格と言えるのが、生光学園だ。

 徳島県内で唯一硬式野球部がある私立校として知られる同校は1995年夏、2年生エース・武田久(元日本ハム)を擁して初の決勝進出をはたしたが、鳴門に1対16と大敗。これが長いチャレンジの始まりだった。

 同年秋の県大会では、決勝で鳴門に16対5と雪辱して優勝。四国大会に駒を進めたものの、1回戦で岩村明憲(元ヤクルトなど)を擁する宇和島東に延長10回の末、5対7で敗れ、翌春のセンバツを逃した。

 97年、02年、05年夏はいずれも県大会準決勝で敗退。弦本悠希(元広島)がエースだった07年も、春の県大会を制しながら、夏は準決勝で徳島商に延長13回の末、敗れた。木下雄介(元中日)、沖垣泰史のダブルエースで挑んだ11年夏も、決勝で徳島商に延長13回サヨナラ負けし、あと一歩甲子園に届かず。10、13、14、16、17年夏も準決勝で敗退し、あと1勝、あと2勝の壁をなかなか打ち破れない。

 その後も18年夏は決勝で鳴門に2対4、21年夏も決勝で森山暁生(現中日)の阿南光に2対3のサヨナラ負けと、いずれも勝利の女神は微笑むことなく、昨夏は準決勝で鳴門に2対3と惜敗した。

 そして、最速153キロ右腕・川勝空人がプロの注目を集めた今夏も、1回戦の川島戦で、9回2死満塁のピンチにサヨナラ押し出し四球で初戦敗退。県内の私立校として初の甲子園出場の悲願は、来年以降に持ち越しとなった。

 夏の県大会決勝で3度敗れるなど、激戦区の埼玉で何度も上位に進出しながら、悲願をはたせずにいるのが、川口市立(旧・市立川口)だ。