「復帰の場がDDTとは限らないですよ」7.21両国大会を最後に無期限休業に入る髙木三四郎"元大社長”インタビュー!

AI要約

髙木三四郎が休業前の最後の試合を両国国技館で行うことが発表された。しかし、休業前に精力的に活動を行い、最近では史上初の「都電プロレス」も開催された。

髙木三四郎は試合数が増える中、体調面に課題を抱えているが、休息時間が減少していることを認めている。アイデアの源泉や新しい試みに対する意欲は衰えず、DDTの空気感やファン獲得に注力している。

DDTは女性ファンを多く獲得し、新たなファン層の拡大に成功している。また、経営の専念や後継者育成に関する考えやプロレス界の現状についても語っている。

「復帰の場がDDTとは限らないですよ」7.21両国大会を最後に無期限休業に入る髙木三四郎

 今年1月、7月21日の両国国技館を最後にプロレス活動を休業すると発表してから早半年。とはいえ発表後は勢いを増し、つい先日も史上初「都電プロレス」まで開催。〝元大社長〟にその両国大会直前にお話をお聞きしました!

――休業会見では「まず体調面が」とおっしゃったにも関わらず、直後から精力的に強豪選手と戦ってきました。コンディションはいかがですか?

「やっぱり休業前は試合数を落としてっていう、月4試合ぐらいだったのが急に倍以上に増えて、なかなかコンディションを整えるのが大変ですね。」

――試合数が倍だと回復に充てる時間も大幅に減りますね。

「結構そうですね。やっぱりケガの治りが遅くなりましたね。そうなっちゃいますよね。」

――以前(21年8月)お話を伺った際「他と同じことしててもしょうがない」とおっしゃってましたが、いつまで経ってもアイデアが尽きないところ、素直にスゴイと思っています。どこにアンテナを張るようにされてますか。

「いやもうアンテナはいろいろですね。とにかくいろんなジャンルを、いろんなソーシャルメディアとか、いろんなニュースとか。どうなんだろう、どれっていうのはやっぱ言えないですね。こういうのって結構ぱっと思いつきみたいなところから起こることが多い。割とそういうのが多いですね。」

――僕は今でもDDTを初観戦した新木場のビアガーデンプロレスが忘れられません。あのハチャメチャ感と一体感が癖になりました。

「もちろん一体感を大事にしようというのはありますけど、でも今はDDTの空気感がすごくいい雰囲気なので、選手もみんな一丸となってこの団体をどうやったら上に押し上げて行けるのかっていうところで一致してますし、どうやったら世間にプロレスの楽しさを伝えられるだろうという意識も結構高いと思うので、その辺に関してはみんなの考えとか向いてる方向が一致してるのはづごくおっきいと思いますね。」

――組織として向いてる先が同じというのは非常に大事ですね。

「そうですね。そこがブレてるとちぐはぐなものになっちゃうというか、どのジャンルもそうだと思うんですけど、組織の目線が同じって言うのはすごく大事なことですよね。」

――今はもう当たり前になりましたが、当時から女性ファンが多くて今もしっかり定着しています。

「割と昔からそうでしたよ。女性ファンの獲得に注力しようというところ。一旦そこは飯伏、ケニーでピークになって、また彼らが出て行ってちょっと下がったところに竹下・上野・MAOが上がってきて。」

――選手にファンが付いてどんどん広がっていくという。

「もちろんハコ推し呼ばれるファンの存在もおっきいですね。DDT全体が好きなんだって言ってくださる方々。プロレスにいわゆる「推し活」文化を持ち込んだのはDDTが最初なんじゃないかって思いますね(笑)それは凄く大事なことだと思ってて、昨日(7/10)の新宿FACE大会も8割が女性、ビックリして。これがひとつのムーブメントを造れてるんじゃないかなって思ってるんですけどね。」

――「THE RANPAGE」の武知海青さんが出場された時、チケットは瞬殺でした。追加発売も瞬殺で。

「凄かったですね~。違うところからファンを連れてくるっていう意味で、アントニオ猪木さんの「環状線理論」みたいになるんですけど、自分たちのコア層の外にどれだけ発信できるかって結構大事だと思うんです。僕は結構ね、それを忠実にやってるだけなんですよ。猪木イズムでも何でもないんですけどね(笑)。やっぱり外向けにどんどん発信していかないといけないっていう危機感みたいなものをちょっと感じていて。正直、熱量のが高い人が思ってるほどプロレスって実は世間に伝わってないというか。自分なんかも年頃の娘がいて、18歳と14歳なんですけど、みんな知らないんですよね、誰がいるのかを。」

――お父さんのことはちゃんと知ってますか?(汗)

「そこは知ってます(笑)でも世の中にプロレスラーという存在として誰がいるのか分かってないんですよね。割と上の子なんかはけっこうそういう感度高くて、色々なジャンル、アニメからアイドルとかいわゆるサブカル的なものとか詳しい方なんですけど、それでもプロレスになると「誰がいるの?」「プロレスってみんな知らないよ」っていう。世間にどれだけプロレスが届いてるかっていうのは、熱量の高い人ほどそれが見えてないというか。熱量高いと自分が知ってることとか自分がわかってることが当たり前になるじゃないですか。でも俯瞰で見てみるとその人の熱量が高いだけで、実は世間的にはそんなに知られてないみたいな。」

――「コアファンほど見えてない現象」ですね。

「だからいろいろと、新幹線プロレスとか都電プロレスなんかそうなんですけど、「あれプロレスじゃないよね」とかいろいろ言う人はいるんですけど、でも、プロレスというワードが少なくとも世間に引っかかってるのは事実だし、武知さんのプロレスチャレンジもプロレスファンじゃない層にプロレスというワードが届いているのは事実なんで。」

――SNSの活用もDDTが一番早かったと思います。

「常に世間に発信していくって意識しないとほんとダメだなって僕は思うんです。実は「プロレス出口調査」みたいなことをするとそれが如実に出てくると思います。全然に考え方は変わってなくて、例えばスターを作らなくちゃいけないっていうのはすごい命題で、プロレスっていうジャンルをもっと外に広げていく。意外にこの「プロレス」っていうワード自体は知名度があるんですよ、良くも悪くも。そのプロレスでどういう団体があって、どういう選手がいるかまで誰もそこまで知らないみたいな。団体として新日本プロレスぐらいはわかりますよ、多分。でも若い子たちなんてはっきり言ってプロレスに誰がいるか知らないですから。すっごいコア化してると思いますね。」

――経営に専念していきたい、後継者を育てたいともおっしゃっていましたが、人材育成はなかなか時間のかかると想像します。内部で育てる、また外部から呼ぶ場合候補者はお考えですか。

「今だと彰人くんですね。ほぼほぼ彼を軸に動きつつあるので、そこはもう任せられそうだなと思いますね。外部からは流石に…。」

――80~90年代のプロレスを見ていた我々には「世代交代」というワードが思い浮かびます(笑)

「今回の社長交代の背景は、正直僕も54で高齢に差し掛かってきてもっともっと若い人がやるべきだと。で、岡本さんにお渡しした。岡本さん48なんですよ。まだまだ若い。そういう方々にどんどんバトンタッチしてやってくのが良いんじゃないのかなって思いましたね。岡本さんなんてもう、サイバーエージェントのバリバリの副社長ですから。サイバーエージェントの売上の半分を作ってる人なんで、そういうちゃんとした方、僕らがちゃんとしてないたわけじゃないんですけど(笑)、ちゃんと経営を理解されてる人がプロレスビジネスに向き合っていただいて、伸ばしていくっていうのが一番いいなっていうのがあったので、ものすごく良い方に来ていただいなって思いますね。僕はもうコンテンツ作りに専念できますし。」

――SWSからもう30数年経ちますが、闘道館で購入された「鶴見五郎日記」は今でも参考になりますか(笑)

「やっぱり参考になりますよ(笑)。鶴見さんの記述の中で出てきてるのがすごいその~、リング上に持ち込めない選手間の揉め事だったり事件が赤裸々に書かれてて。やっぱりああいう企業プロレスで部屋別制にすると内部抗争だったり。僕は別に「何でそんなことでもめるんだろうな」とか「意識するだろうな」とか思うんですけど、やっぱりその部屋ごと団体ごとってなっちゃうと、すごくおかしくなっちゃうんですよね。田中八郎さんに取り入ろうとする人とか、かと思ったら妨害する人とか。」

――ああ・・・

「プロレスって徒弟制度が色濃く現れる社会なんですよ。そこにすっごくプライドを持ってる。お前は誰に教わったんだ、お前のプロレスの源流はどこなんだ、という。僕の場合はいろんな人に教わったんで、いろんな流派というか体験してるんですけど、足の踏み込みの角度が違うとか、指の角度が違うとかほんとに細かなところから違うんですよ。」

――ちょっと話がズレますけど指の角度が一本違う「冬木スペシャル」とか(笑)

「細かな違いではあるんですけど、やっぱ当然そこにプライドを持つ、誇りを持つ。ロープワークとか受け身ひとつとってもやっぱ流派によって違うわけですよ。でも所作のひとつひとつが違うから試合出来ねえのかっつったら出来るわけですよ。違う流派が現れるとそのプライドのせめぎ合いが生まれて面白いっていうのは当然あります。当然そこも魅力のひとつです。でも今はプロレスっていうジャンル自体をもっともっと世間に広げていきたいっていう想いがありますね。」

――両国大会の対戦相手が男色ディーノ選手。これはもう長くDDTを観てるファンにはグッときますね。

「やっぱり、ほんと男色ディーノと言う存在はDDTじゃないと活きなかったというか、彼DDTにたどり着いてなかったら一般人で終わってたと思うんです。DDTで生きてきた男として、ドラマチックドリームを体現できるのは彼なのかなっていうのは自分の中でもあったんで。最後に試合するにはふさわしい相手ですよね。」

――念のため「最後に」というのは引退するわけではないですよね?

「引退はしないですよ(笑)ひとつの区切りですからね。復帰はしますけど、その復帰の場がDDTであるかどうかは分からないですよ(ニヤリ)みんな復帰してDDTに戻ってくると思ってるんですけど、果たしてそうなのかなって。WWE行っちゃうかも知れないし、AEW行っちゃうかも知れないですし。復帰はしますけど、そういう当り前じゃないところは常に持ってないといけないし、当り前じゃないことを仕掛けて行かなきゃいけない仕事なんで、ひょっとしたらっていうところってあるじゃないですか。」

――ああ、確かに!皆さま、髙木三四郎休業前ラストマッチ、両国国技館でお会いしましょう!