日本ツアー育ちが全英制覇 トッド・ハミルトンの優勝への軌跡を振り返り

AI要約

1992年から国内男子ツアーに参戦し、11勝をあげたトッド・ハミルトンが04年の全英オープンでメジャー初優勝を果たす。

ハミルトンは世界の猛者を相手に堂々としたプレーを見せ、プレーオフでの勝利でメジャーVの栄冠を手にする。

ハミルトンの成長過程や異国での活躍は日本のゴルフファンにも記憶に残る。

日本ツアー育ちが全英制覇 トッド・ハミルトンの優勝への軌跡を振り返り

<全英オープン 事前情報◇16日◇ロイヤルトゥルーンGC(スコットランド)◇7385ヤード・パー71>

メジャー今季最終戦「全英オープン」がロイヤルトゥルーンGCを舞台に行われる。2016年以来となる同コースでの開催であるが、それより前は04年。その時、大会を制したのは1992年から国内男子ツアーに参戦し、11勝をあげ、日本でもなじみのあったトッド・ハミルトン(米国)であった。あれからおよそ20年という年月が流れたが、メジャーVへの軌跡を振り返ってみる。

米国イリノイ州出身で高校時代に州のジュニア選手権で2回優勝し、オクラホマ大に進んだあとも輝かしい成績を残してきたが、目標としていた米国男子ツアー参戦はすぐには叶わなかった。87年にプロ転向し、同ツアーのクオリファイング(QT)に挑戦したが失敗。88年からは戦いの場を求めてアジアンツアーへ。92年に賞金王になると、その権利で同年から日本ツアーに参戦。6試合目の「マルマンオープン」では、ジャンボ尾崎を振りきりツアー初優勝を飾った。

03年に8度目の挑戦となった米ツアーのQTを突破すると、04年3月の「ホンダ・クラシック」で米ツアー初優勝。そして7月の「全英オープン」でついにメジャー制覇を成し遂げることになる。

3日目を終えてトップには立っていた。しかし、1打差の2位にアーニー・エルス(南アフリカ)、さらに1打差でフィル・ミケルソン(米国)、レティーフ・グーセン(南アフリカ)、トーマス・レベ(フランス)という百戦錬磨の選手がズラリと控えていた。トップから4打差の位置には、飛ぶ鳥を落とす勢いのタイガー・ウッズ(米国)まで…。「さすがに、このまま逃げきるのは難しいだろう」というのが大方の予想だった。

3日目を終えてトップに立っていたハミルトン。しかし、1打差の2位にアーニー・エルス。さらに1打差でフィル・ミケルソン、レティーフ・グーセン、トーマス・レベという百戦錬磨の選手がズラリと控えていた。トップから4打差の位置には、飛ぶ鳥を落とす勢いのタイガー・ウッズ……。「このまま逃げ切るのは難しい」というのが大方の予想だった。

しかし、このノーマークだった男は、世界の猛者を相手に堂々としたプレーを見せた。最終日、前半の9ホール終了時点では9アンダーでハミルトン、エルス、ミケルソンの3人がトップに並んでいた。ハミルトンは10番でボギーをたたき一歩後退するも、11番でバウンスバック。14番パー3ではチップインバーディも披露。この時点でエルス、ミケルソンに2打差をつけた。さらに16番パー5でもバーディとして11アンダーまでスコアを伸ばした。

10番でダブルボギーを叩き、脱落したかに思えたエルスであったが、16、17番の連続バーディで優勝戦線に留まると、ハミルトンに1打差の10アンダーで18番を迎えた。そして最終ホールではハミルトンがボギーに対し、エルスはウイニングパットをショートしてパー。10アンダーで並びプレーオフに突入した。

そして、1、2、17、18番の4ホールでプレーオフとなり、1、2番は両者ともパー。そして17番のパー3では、エルスがボギーでハミルトンはパー。ハミルトンの1打リードで再び18番を迎えることとなる。エルスはバーディチャンスにつけたが、ハミルトンは2打目を大ショート。それでも冷静にアプローチをしっかり寄せるとパーセーブ。エルスはバーディパットを外したことで、メジャー初優勝を手にしたのであった。

米国人のハミルトンだがだが、ひと皮むけて大きく成長したのは国内男子ツアー。そんな“逆輸入”選手が世界の大舞台で頂点に立ったことは、日本のファンの記憶にも刻まれた。