清原和博“あの慶大の長男”が明かす家族関係…“モデルの母”亜希さんに激怒された日「中学の時、タクシーを使ったら…」「弟は父に似てる」

AI要約

清原和博氏とモデルの母を持つ慶應大学野球部の清原正吾(21歳)が、家族や学校、野球にまつわるエピソードを明かす。

清原家は豊かな環境ではなく、父である和博氏からはスポーツへの情熱と根性を受け継いでいるという。また、野球技術や漢としての鍛錬も幼少期から行われていた。

母の亜希さんも厳しくしつけ、正吾が分不相応な行動をとった際には叱責した。家族からの愛と教えが正吾の人格形成に影響を与えている。

清原和博“あの慶大の長男”が明かす家族関係…“モデルの母”亜希さんに激怒された日「中学の時、タクシーを使ったら…」「弟は父に似てる」

 慶應大野球部に所属する清原正吾(21歳、4年)。父・清原和博氏やモデルの母に叱責されたエピソードから、野球がつないだ家族関係まで…NumberWebのロングインタビューに応じた。【全3回の2回目/1、3回も公開中】

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 清原和博氏が高校時代に過ごした大阪のPL学園と、その長男である正吾が幼稚舎(小学校)より過ごし、政治家や財界人、芸能人の二世も多く通う慶應は、何もかもが対極に位置する学校といっていい。

「みなさんが想像するような、ザ・慶應っていう生活はしていません。子供の頃から父に『(スポーツは)気合と根性だ』と教わっていましたし、僕の中にも父親のDNAは確実にある。近所の公園で泥んこになりながら遊びましたし、高級なものばかりを好んで食べる家庭でもありません。父がオリックスに在籍していた頃や正月に大阪に行った時などには、『これがうまいんやあ』と父が薦める関西のB級グルメもいっぱい食べました」

 野球をやっていた頃には自宅マンションの部屋で打撃指導を受け、そうした野球の技術だけでなく漢(おとこ)として「腕相撲の勝ち方」を叩き込まれたこともある。「必ず相手より後に指をからめ、自分の頭と腕の距離を近くして一気に相手の腕を倒すんです。誰にも負けませんでした。20歳の時、一度、父と腕相撲をしたことがあって……。結果は、勝ちました」

 また、厳しく叱責されたことも――。

「一度、少年野球の試合の日にバットを忘れてしまったことがあるんです。野球道具を一番に大切にする人なので、その日は怒られましたね。バットやグローブを他の人の手に触れさせるなともずっと言われていました」

 PL学園の野球部では和博氏がバットを抱いて眠っていた逸話が伝説として残っているが、「さすがに今はないですけど、僕も昔はバットを抱いて寝ていました」と正吾は笑う。

 母の亜希さんも、子供たちが勘違いをしないように節度のある生活を心がけ、正吾の分不相応な行動を正そうと厳しく叱ったこともあった。

「中学生の時に、予定の時間に遅れそうになり、徒歩だと間に合わないのでひとりでタクシーに乗ったことがあるんです。そうしたらかなり怒られました……『何を勝手なことをしているの? まだ早い』と。周りの慶應生は、裕福な家庭の子が多かった。当たり前のようにタクシーを利用する周囲を見ていて、自分も抵抗なくタクシーを使ってしまったんです。両親共に、田舎から上京してきた人なので、身の丈に合った行動をとることの大切さを忘れて欲しくなかったんだと思います」