清原正吾の気になる進路「プロ野球志望?」本人の“本音”「父(和博)は慎重かも」驚きの身体能力…6年間も野球離れて“なぜ慶大4番になれた?”

AI要約

清原正吾は慶應大学野球部で成長を遂げ、4年次にホームランを目標に掲げるまでになった。

6年間のブランクを持つ苦労から、自己実力不足を痛感し、パワーと飛距離を武器に成長を遂げた。

長所を伸ばすために二軍での努力を続け、プロ野球への道を模索している清原正吾の野球人生。

清原正吾の気になる進路「プロ野球志望?」本人の“本音”「父(和博)は慎重かも」驚きの身体能力…6年間も野球離れて“なぜ慶大4番になれた?”

 慶應大野球部に所属する清原正吾(21歳、4年)。進路について「プロ野球志望」も報道されるなか、本人の本音を聞いた。【全3回の3回目/1、2回も公開中】

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 清原和博氏の長男・正吾は今春の東京六大学リーグのベストナイン(一塁手)に輝いた。昨秋までの3年間は9打席しか立てず、安打もわずか1本だけ。いわば戦力外の状況から「4番・ファースト」の定位置を確保し、13試合に出場して52打席に立ち、14安打、7打点を記録した。

「覚悟を決めて入部した以上は、神宮球場の舞台に立ってホームランを打つことを目標にしました。ただ、正直なところ、大学在学中に試合に出るのすら難しいと思っていたのも事実です。堀井(哲也)監督も当時は『4年生の時に代打で出られるかどうかだろう』と思っていたそうです」

 大学の野球部で、まして慶應のような六大学の名門かつ強豪の野球部で、中学・高校の6年間ものブランクがあるような選手はほぼいない。それは同級生の仲間と比べたらあまりに大きなハンデにも思える。

「硬式球も初めてだったので、6年のブランクはやはり大きかったですね。野球から離れていた間は、弟(勝児、慶應高3年)のキャッチボールに付き合うぐらいしかやっていませんでしたから。打席に入っても、レベルの高い大学生投手の変化球がまったく目で追えず、バットにはかすりもしませんでした。ノックを受けても僕だけがエラーする。仲間は『6年間やっていないから仕方ない』と温かい目で見てくれていましたが、むしろ怒られもしない状況が情けなかったです。だから休日の個人練習でなんとか差を詰めよう、と」

 2年秋の慶早戦で初めてベンチ入りを果たし、昨春には開幕戦に「7番・ファースト」で先発起用された。だが、1安打を放っただけで第2節では控えとなり、第3節以降は二軍に降格。昨秋のリーグ戦出場はなかった。

「野球人生の大きな転換期だったのかなと今では思っています。ベンチを外れて、寮も二軍寮になってしまって、夏の合宿も一軍の北海道ではなく、二軍の西焼津でした。常にベストを尽くしてきたつもりですから、『あの時にもっと頑張れば良かった』というような後悔はないんですけど、単純に自分の実力不足を痛感した。本当に悔しかったです。上に上がるためには何をすべきか。それを考えると、やっぱり自分の長所を伸ばすことだった。堀井監督もチームの方針として『一軍に上がるまでは長所しか見ない。一軍に上がってからは減点法で見る』ということをおっしゃっていますから」

 正吾の長所、それはパワーであり、打球の飛距離だ。天性の運動神経に加え、アメフト時代にウエイトトレーニングに力を入れたことが、野球でも生きている。

「二軍ではバットをとにかく振り込みました」

 二軍戦でホームランを量産し、この春、正吾は神宮の杜に帰ってきた。