「最後のノック、帰ったらやりますか」 3年生2人にコーチは涙目

AI要約

1988年夏、上田東が甲子園に出場した際に主将だった、吉川弘文コーチが3年間の思いを語る。

長谷部達哉と山田龍之介が3年間、熱心にノックを受け続けてきた姿勢を示す。

試合後、2人の選手が吉川コーチに感謝の気持ちを示し、感動の場面が描かれる。

「最後のノック、帰ったらやりますか」 3年生2人にコーチは涙目

(9日、全国高校野球選手権長野大会2回戦、飯田風越9―2上田東)

 「こんなにたくさんノックしてきたこと、人生で無いんじゃないかな」。1988年夏、上田東が甲子園に出場した際に主将だった、吉川弘文コーチ(54)はこの日までの3年間を振り返り、言った。

 3年間、そのノックを受け続けてきたのは山田龍之介(3年)と長谷部達哉(同)。長谷部はサード、山田はセカンドを守ってきた。部員不足のため、2人とも1年生のころから試合に出てはいたが、失策の多さが目立った。

 「ノックするぞ」。最初の頃、コーチに声をかけられた。「お願いします」。そのうち、2人の方から志願するようになった。〝居残りノック〟が日課になった。練習後も試合後も関係なかった。

 この日の飯田風越戦では、山田がサード、長谷部はレフトで先発出場。八回裏に山田と長谷部はともに内野の守備位置についた。直後に長谷部が守る三塁線を鋭い打球が抜けた。試合はコールド負けだった。

 試合後、長谷部は「気持ちの入った打球を打ってくれた吉川さんには感謝しかないです」、山田は「いつも元気づける言葉をもらっていたのに、勝利をプレゼントできなくて申し訳ない」と泣いた。

 「最後のノック、帰ったらやりますか」。そう話す吉川コーチの目にも涙が浮かんでいた。(高億翔)