ハワイがサッカー界の「ラストマーケット」? プロスポーツがない超人気観光地が秘める無限の可能性

AI要約

サッカーイベント「Pacific Rim Cup」は、中村武彦氏が創設したパンパシフィックチャンピオンシップを元に、世界的なスター選手が集う大会である。

中村武彦氏は、日本とアメリカでサッカーを経験し、スポーツビジネスの学びを求めてマサチューセッツ州大学大学院に留学した。MLSの成功の可能性を感じ、アメリカでのサッカービジネスに注力した。

アメリカとヨーロッパのサッカー文化の違いに着目し、アメリカでのサッカービジネスが成功する可能性を見いだした中村武彦氏は、FCバルセロナの国際部でも活躍し、異なる国の文化を通訳する能力が評価された。

ハワイがサッカー界の「ラストマーケット」? プロスポーツがない超人気観光地が秘める無限の可能性

ハワイのオアフ島で、7月26日と27日に開催される子ども向けのサッカーイベント「Pacific Rim Cup(パシフィック・リム・カップ)」。この大会は、2008年に創設された「パンパシフィックチャンピオンシップ」が元になっている。世界的なスター選手が集い、第1回はデイビッド・ベッカムも出場した同大会の発案者は、スポーツビジネス界で幅広い事業を手掛けるBlue United Corporation代表の中村武彦氏だ。北中米とアジアを結ぶ環太平洋地域がサッカー界の“ラストマーケット”になる可能性を見出した同氏は、人気観光地として圧倒的な知名度を誇るハワイでどのようにビジネスチャンスを見出したのだろうか。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=Blue United Corporation)

――中村さんは幼少期をアメリカで過ごし、帰国して日本で就職されましたが、その後再び渡米してマサチューセッツ州大学大学院に留学してスポーツビジネスを学ばれたそうですね。当時、サッカーの可能性をどんなところに感じたのですか?

中村:日本に帰ってきたのは小学校3年生の時で、あまり日本語が得意じゃなかったのですが、友達が『キャプテン翼』の漫画を1巻から13巻までくれたんです。アメリカでサッカーを始めていたので、それが日本でも続けるきっかけになって、周囲の環境にもなじめるようになりました。大学でもサッカーを続けていたのですが、普通に就職をしたことで、サッカーが週末の趣味になってしまって。刺激がなく、仕事でもスポーツに関わりたいと思ったことが留学のきっかけでした。

 当時は日米のサッカーはプロリーグができてまだ十年余りで、アメリカは「サッカー不毛の地」と言われていたので、チャンスかもしれないと思いました。大学院に留学する時に周囲から「なんでヨーロッパじゃないの?」と聞かれましたが、ヨーロッパには歴史と伝統があって、スポーツビジネスのメソッド(手法、方式)を使ってアメリカがMLS(メジャーリーグサッカー)をどうやって成功させるのか、可能性を探ってみたかったんです。歴史と伝統は輸入できませんが、メソッドは輸入できる。トヨタもソニーもパナソニックも、そのように海外からいい部分を学んで日本で世界一にしてきたので、その手法を学ぶことができれば、日本に帰国した時に役立つ経験になると思いました。

――ヨーロッパはサッカーが文化、アメリカはエンターテインメントという、捉え方の違いがありますが、そうした部分も踏まえて、MLSは成功すると予想していたのですか?

中村:そうです。現在のヨーロッパのスポーツ文化は1800年代に行われていた競馬の馬の品評会がルーツだとも言われています。地元の人が集まって会費制で、馬について語り合うイベントが産業革命で拡大して、違う街と試合をするようになった。そのなかで「自分の街のほうが強いんだ」というプライドが生まれて、ルールとかリーグができてきた。だから、ヨーロッパのサッカーは自分の街を代表していて、その名残としていまだにソシオ制があったり「勝った・負けた」が重要です。

 一方、アメリカは移民国家なので「おらが街」という考え方は日本や欧州と比較するとそこまではないんですよね。そこで登場したのがプロモーターで、試合のチケットをファンに売るようになった。もともとヨーロッパで地元のものだったスポーツが、アメリカではビジネスになったんです。だからチームの拠点が移転することもあって、大谷翔平選手が所属するドジャーズも当初の拠点はロサンゼルスじゃなくてブルックリンでした。それが売り買いされるくらいまでビジネスになったんです。そのメソッドを学べば、「サッカー不毛の地」と言われたアメリカでもサッカーが成功すると思いましたし、それを見てみたいと思ったんです。

――大学院卒業後はMLSの国際部に採用され、各国の代表やクラブのツアーを150試合近く手がけた後、2009年にはFCバルセロナの国際部で北米・アジア・オセアニア担当として活躍されました。日本人として初採用だったそうですが、どんな部分を一番評価されたのですか?

中村:自分の仕事の真髄だと思っていたのは、さまざまな国の国民性や言葉のニュアンスなどの文化を“通訳”することです。例えば、ニューヨークのオフィスで、日本人の自分がイングランド代表とメキシコ代表のマッチメイキングをすることもありました。そこでは国籍や人種は関係なくなるので、国民性も含めて行間を読み、「それぞれが違うものを持っている」という理解のもとに、両者をうまくつなげる能力が必要です。言語ができる人はたくさんいますが、特に評価されたのはその部分だと思っています。